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中古自転車と「本当の豊かさ」(1)

ベルリンで、市民の足は自転車である。どの通りにも、赤い色で塗られた自転車専用のレーンが歩道と車道の間にある。ベルリンは、ほとんど坂らしい坂のない都市。自転車専用レーンは、ローラースケートを履いた人や、電動車椅子の人も使っている。歩行者や車を気にせずに、すいすいと道を走ってゆけるなんて、夢のような快適さだ。

 

1920年に、アレクサンダープラッツの周辺のベルリン旧市街に、当時は郊外であった周辺のたくさんの地区が統合されて、ベルリンは今日のような大都市になった。だから、旧市街を除くと、一般にこの都市の道幅はとても広い。歩道の幅ですら、ミラノ旧市街の車道よりも広く、車道、自動車専用レーン、歩道、全部をあわせた大通りなどは、イタリアの高速道路より広いくらい。

 

道幅が広いと、その上に広がる空が広い。その広い道路が集まるロータリーに立つと、ぐるり360度首をめぐらして、やっと空全体を眺めることができる。

 

ミラノでは、中世の狭い道が網の目のようにめぐらされた旧市街で暮らしていた。だから、私のミラノで、安心して見上げられる一番広い空は、車が入ってこないドォーモ広場の、広場と同じ長方形に切り取られた空だった。あとは、道幅と同じ幅の水路のような細長い空ばかりで、しかも、その狭い道を車も人も通るので、ぼんやり見上げていたら、あっという間に車にはねられる。とても安心して空を見上げる余裕はなかった。

 

だから、ベルリンに引っ越して来て以来、しょっちゅう空を見上げているような気がする。見上げては、その高さとダイナミックに刻々と変化する空模様に感動する。ミラノでの16年の生活は、本当に楽しく豊かなものだったけれど、どの都市にもあるものとないものがある。私は、16年間、空に飢えていたのかもしれない、と、ベルリンに来て初めて知る。

 

首都といっても、ベルリンの人口密度は他の首都に比べると異様に低く、1920年に周辺地区と統合して、今日のベルリンになって以来、面積こそは東京都1.5倍という大都市だけれど、人口密度は、東京23区内の三分の一だという。ラッシュアワーの人口ではなくて、23区内に住民登録をしている人口で三分の一である。

 

観光地化しているエリア除けば、ベルリンのどこを歩いても、なんだか異様にすいている。「元旦の千代田区みたい・・。」というのが、私の最初のベルリンの印象で、今もその感じはかわらない。車の渋滞もめったにみないし、道を歩いていて、人とぶつかるようなこともない。通りによっては、ぶつかるどころか、人がいない。そういう意味で、ベルリンは、世界でも珍しく、混雑による緊張感がない首都だと思う。

 

ミラノでは、いきなり脇から出てくる車にぶつからないように、狭い道を後ろから暴走してくる車に引っ掛けられないように、人にぶつからないように、知らず知らずのうちに緊張して、いつも奥歯をかみ締めて歩いていたような気がする。ベルリンに来て、道を歩いたときは、あまりにすいていて、気が抜けた。ぽーっとして歩いていても、車に轢かれる心配などさらさらない。「都市を歩く」という生活の基本部分で、安全が保障されているということは、なんて心に優しいことなんだろう。

 

私は86年から88年にかけて、ベルリン工大の学生や建築家のプロジェクトに参加するために、何度か、日本からベルリンを訪れている。そのときは、こういう部分が、際立って印象的だった思い出はない。こんなことに改めて感嘆するのも、あの車も人も密集してワイルドなミラノ旧市街に住んでから、ベルリンに来たからなのだろう。

 

この自転車専用レーンは、窒素酸化物の排出による地球の温暖化が、国際問題として取り上げられるようになった90年代に、車の代わりに、自転車の利用をうながす対策のひとつとして、町中にきっちり整備されたものだという。

 

かつて車の利用を促すために、まず高速道路網をドイツ中につくったように、自転車利用を促すなら、まず自転車専用道路網を、町中に作る。そうすると、声を荒げてキャンペーンをはらなくても、自然に人はそれを使うようになる。歴史的に、「道」が「戦略」として位置づけられているのが、ヨーロッパだけれど、それを、環境対策の戦略にも応用するというところに、ドイツという国の本質が見えるような気がする。

 

自転車とならんで利用が推奨されている、バスや、地下鉄、市内を走る電車などには、自転車OKのマークが着いたドアのある車両があって、どんな時間帯でも、自転車を持ち込むことができる。(そのくらいすいている!)だから、町の反対側へ横断してゆくとか、郊外の森に行く、なんていうときは、途中は電車や地下鉄を使って、また自転車を漕ぎ出すことも可能だ。ちなみに、この市内交通の定期券は、環境切符Umweltkarte」と名づけられている。

 

自転車専用道があって、道がすいていて、坂もなくて、しかも、ヨーロッパで一番豊かと言われる街路樹の下を、どこまでも走ってゆける・・・といったら、町を移動するだけでも気持ちがいい。しかも、ただ。ガソリン代も、電気代もかからない。有酸素運動で、健康にもいい。だから、誰も彼も、市内移動は自転車になる。

 

住まいから大学までは徒歩15分の距離だし、元東ベルリン、元西ベルリンどちらの中心街までも、最寄の駅から地下鉄や電車、1駅、2駅でついてしまうので、地面が凍って、日照時間が短い冬の間は、その凍った空気の中を歩くのが気持ちよくて、それだけで満足だったけれど、地面が溶け出して、日が長くなり、新緑が出てくると、私も断然、自転車がほしくなった。

 

持つなら絶対に、中古自転車だ。新品なんか、すぐ狙われて、盗まれてしまう・・・と思うのは、長年のイタリア生活の後遺症かもしれないが、ヨーロッパにいると、なにがなんでも新品、という気持ちはなくなる。使いこまれて、手に体になじんだ感じのもののほうが価値が上、という空気が、いろんなところに浸透していて、そういう中で、上から下までぴかぴかの新品、なんていうのは、いかにも新米、やたらと目だって、気恥ずかしい。ずっとここに住んでいますよ、という顔をして乗れる、使い込まれた感じの自転車がほしい。

 

日本では、新年から新製品に至るまで、新しいことに価値があるけれど、ヨーロッパでは、時代を経たものを信用するというか、しっかり使い込まれたもの、いわゆる「黒光り」するようなものに、最高の価値をおく。(アメリカは、大きいことがいいことか。)

 

というわけで、引っ越してきて半年、生活のセットアップが一段落して余裕が出てきた、新緑の5月のはじめ、「よーし、私に似合う最高の中古自転車を手に入れよう!」と奮い立った。

 

なぜ中古自転車ごときに、奮い立つかというと、「私に似合う最高の中古自転車」というものは、スポーツショップに行って、お金を出せば買える、というものではなく、奮い立つぐらいに気合を入れないと、絶対に手に入らないから。中古自転車はいろいろあれど、あんまりぼろぼろも困るし、変な色のもいやだ。いい感じに使い古されているなんていうのは、使っていた人の生活まで問うような微妙なものだし、形も大きさも、自分に似合う「これだ!」というものは、ちょっとやそっとのことでは、絶対に見つからない。お金の上に、運と勘と経験を総動員してはじめて手に入れることができる、最高級の貴重品だ。

 

だいたい、どんな高いものであったとしても、お金だけで買えるものの価値なんて、たかが知れている。お金さえ出せば、誰でも手に入れられるんだから。ホリエモン系がなんと言おうと、私はそう思っている。

 

有り余るほどの、お金さえ出せば買えるものに囲まれて暮らし、それでもなお、「本当の豊かさ」に飢え憧れまくっている日本があるとすれば、この辺に、その理由があるような気がする。

 

以前そういう話をしていた時に、「便利でお得」が、現代日本のコンセプト、と、ぴたりと指摘したのは、友人の橋場一男さん。橋場さんは、何者にも揺るがされることのない「暮らし」の本質を、雑誌の編集者として探求し続けてきて、日本人で、というか、世界でただ一人、デザインの批評家として、ドイツのアカデミーシュロスソリテュードのグラントを受けた人。日本の貴重な財産のような人だ。(橋場さんのブログ「痩せたり太ったり」は、http://blog.so-net.ne.jp/hashiba-in-stuttgart

  

橋場さん曰くの「便利でお得」なモノに囲まれる生活。「便利でお得」である限り、二重八重に囲まれても、暮らしは、本当には、豊かにならないのかもしれない。逆説のようだけれど、いつでも、どこでも、誰でもが買えるモノは、どんなにぴかぴかでも、ある一定のレベルのところまでしか、暮らしを満たさないのかもしれない。お金では買えない部分の欠如が、いつまでも、どこまでも、「貧乏くささ」としてまとわりついて・・・。

 

お金のあるなしに左右されない、ただただ豊かな生活は、生きるための基本として、私はいつも持っていたい。そういう生活を創造できるだけの力も。だから、私は、お金を出すくらいでは、絶対に手に入らないものの取得には、余念がない。「私に似合う、よく使い込まれた、中古自転車の獲得」、という「探すのも面倒で損なだけ」かもしれない課題に、私は渾身の気合をいれて、立ち向かう。

 

さがせよ、さらば、与えられん。そこには、お金で買える以上の豊かさが、きっとある。

 

 

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阿部雅世公式サイト MasayoAve creation  www.macreation.org

 

 

 

 

 


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hara_taka

阿部さんと橋場さんのブログは長くてOK!短くなったらちょっとがっかりするだろうな...次回のお話も長〜く、たっぷりと、思う存分楽しませて下さい。
by hara_taka (2006-07-16 10:31) 

Kyoko Asakura

こんにちわ。橋場さんのページから来ました。
バルセロナ在住です(昔、WINDの仕事をしていました)。私も、ロンドン暮らしもあわせると欧州生活が15年以上になり、新しいものばかりでは恥ずかしいという感覚になりました。中古自転車ほしいですね。こちらではインドの実用自転車等は新品で売ってるんですが。
バルセロナもどんどん自転車が乗りやすい街に転換しています。日本人の友人(彼女もベテラン編集者)はこちらで蚤の市が日課なんですけれど、この夏ベルリンで蚤の市にいくために貯金してました。それでは、ブログこれからも楽しみにしています。
by Kyoko Asakura (2006-07-20 00:59) 

阿部雅世

Asakura Kyokoさん、こんにちは。
バルセロナ、懐かしいですね。私は、WINDの93年?のバルセロナオリンピックの前後のバルセロナのデザインを特集する取材で行ったの最後です。カラコラスのパエリヤと、豆乳みたいな白い飲み物オルチャータが、懐かしいです。自転車で周るバルセロナも、よさそうですね。チャンスを見て、また行きたいと思います。それまで、ブログで様子を拝見させていただきます。
by 阿部雅世 (2006-07-25 00:27) 

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