SSブログ

外国語の習得

夜9時を過ぎたあたり、部屋の窓ごしに、虫の羽音のうなりのような、低いブーンウンウーンウンという音が聞こえてきた。音は、もっと低くなったり、時々高くなったりしながら、ずっと続いている。

 

何の音だろう、と思って耳を済ませたら、なんと近隣すべての世帯から聞こえてくるサッカー中継の解説の声が、共鳴してかどうか、そんな音になっているのだった。地の底から沸いてくるような音で、それが町中に響き渡っている。

 

そうか、ワールドカップ準決勝のドイツ-イタリア戦が始まったのだ。準々決勝あたりから、ドイツでは、試合の放送時間はテレビの視聴率90%(!)というから、町中が同じ放送を見ているわけで、そうすると、こんなことになる。すごい。

 

ドイツ語は、人が直接私に向かって言っていることは、わかるようになってきたけれど、ベルリン芸大での学生とのコミュニケーションは英語を使っていることもあって、言葉としてはまだまだ使えない状態だ。だからテレビの中継の声などは、意味よりも「音」が先に来る。イタリアのサッカー中継もよく聞こえていたけれど、こういう音ではなかった。それぞれの国の言葉には、それぞれ独特の音がある。

 

外国語をモノにするのに、文法や文字から入ってゆくほうが向く人と、耳から音として入れてゆくほうが向く人と、2種類あるようだけれど、私は昔から、楽器を弾くのでも、楽譜を読むよりも、耳で聞いて暗譜してしまうほうが得意だったので、断然、耳から入れて習得するほうが楽だ。

 

どの国へ行っても、さっさと適応して、ついたその日から、10年もそこに住んでいるような顔をして生活を始められるのは、私の特技でもあって、少し時間をかけられるなら、現地の言葉があまり障害になることはない。だから、外国語の習得は得意なほうだと思う。

 

外国語ばかりではなく、日本での大学時代に、静岡出身の同級生とよく遊んでいたら、東京の言葉しかしゃべれない東京生まれなのに、彼女がよく使う静岡の方言が、そっくりそのまま移ってしまったこともあったりして、そういう影響を受けやすい体質が、外国へきたときに、すっかりプラスの方向に向いているのかもしれない。

 

イタリア語も、なにしろ世に聞こえた3日坊主なので、自習用の教本も最初の数ページは、意欲的な書き込みがあったりするが、そのあとはまっさらなまま・・・で、あとは、生活しながら、毎日耳で聞き、子供のように口まねしているうちに、すっかり自分の言葉として使えるようになった。16年ミラノにいたから、単純に考えれば、16歳のミラネーゼくらいにはしゃべれるはずだ。

 

でも弱いのは、書いたときのスペリングである。なにしろ、綴り方教室をはしょって、音で覚えている言葉だから、聞き間違っている単語もたくさんある。子供が「れいぞうこ」を「でいぞうこ」と思い込んで言っているようなまちがいは、死ぬほどある。

 

イタリアに暮し始めて、2年目くらいから、急に「読める」ようになったが、それで初めて単語を見て、え、そうだったのか、という綴りをたくさん発見して、がっくりきた。その時点で、一度きっちり綴り方教室をやればよかったのかもしれないが、そんな暇も根性もなかったので、だめなまま16年たってしまった。だから、イタリア語でしゃべるのはいいけれど、あまり書きたくない。

 

「声に出して読みたい日本語」という本が、日本でベストセラーになっていたようだけれど、私の書くイタリア語は、「声に出して読んでいただきたいイタリア語」である。声に出して読んでいただければ、きっと、私が言っていること、わかっていただけるはず・・・。

 

というわけで、イタリア語書くのは、とてもはずかしい。知り合いへのメールくらいはいいけれど、正式な手紙は、それでも単語のつづり方が日本の学校教育の中でそれなりに入っている英語のほうがまだましなので、相手が英語がわかる人ならば、頑固として英語を使っている。

 

日本で、詰め込み教育反対、とかよく聞くけれど、詰め込めるものは、子供のうちに詰め込めるだけ、詰め込んでおいたほうがいい。大人になってから詰め込もうとしても、そうそう入らないんだから。ゆとり教育とかいうなら、せっかく子供の数が減っているんだから、一人の先生が面倒を見る人数をもっと減らして、教えるほうも学ぶほうも、もっとゆったりできるような条件を作るのが、本当のゆとりというものではないかしら。ヨーロッパの平均は、小学校で、1クラス10人程度、多くても15人だ。教科書のページを減らして、ゆとりです、ってねえ。「大人になってからとっても苦労するよ、その子供」と、私は思う。でも、この話は、又長くなるから、別のときに。

 

話を戻すと、イタリアに住んでいても、ヨーロッパのいろいろな国からのリクエストのほうが、なぜかイタリア本国からのリクエストよりも多かった。だから、仕事をする上では、外国語の中でも英語は一番使いこなしてきた言葉だ。でも、英語が母国語のイギリスやアメリカで暮した経験はないので、私の英語には、生活に根付いた強力な原点がない。原点がないとどういうことになるかというと、私の英語は、周りにいる人によってころころかわる。

 

最近これを、カメレオン・イングリッシュと命名した。これは、誰もがわかってくれる会心の「新語」である。コピーライト あべまさよ。

 

これだけ外国暮らしが長くなると、こちらもすれっからしになって「ない言葉はつくりゃいいのさ」と、ふてぶてしく思えるようになる。でもそういうところから、HAPTIC DICTIONARYという、触覚を表現する新しい言葉をデザインするプロジェクトが生まれ、15カ国から、述べ56人の学生を巻き込んだ一大デザインプロジェクトとして展開できたのだから、人生何が幸いするかわからない。そのプロジェクトについてはここで書くと、ブログの容量を超えてしまうので、それはまた別の機会に。

 

ともあれ。カメレオン・イングリッシュの私は、アメリカ人と数日すごすと、完璧なアメリカン・イングリッシュになってくるし、イギリス人としばらくいると、すっかりブリティッシュ・イングリッシュになる。

 

2001年から数年は、「私におけるフランス年」とでもよびたいほど、フランスからのリクエストが多くて、ミラノからフランスによく通った。フランス語は、ドイツ語よりも、もっとだめである。一応勉強しなくちゃ、とは、思って、自習用のテキストは買ったものの、最初の1ページ1行目の「あそこに捨て犬がいる」(誰が使うんだこんなフレーズ)というセリフと、レストランで、というチャプターの「お勘定お願いします」、それから、タクシーで、というチャプターの、「ドコソコへ行ってください、シルブプレ ムシュー(あるいはマダム)」などを覚えただけで、あとは完全に停止している。

 

そんな状態だから、仕事は英語で通すしかないのだけれど、そうすると、フランス人の、あの独特のフランスなまりの英語に囲まれて毎日を過ごすことになり、あっという間に、フランス語なまりの英語を、とても上手にしゃべれるようになってしまった。だから、その時期、私の英語を聞いた人は、どんなにか私がフランス語をしゃべれるのだろう、と思ったはずだ・・・。

 

ともあれ、そういう特殊な時期をのぞけば、普段はいろんな国の外国人の英語の中にいるわけだから、あれこれの影響がまんべんなく入っているのが私の英語。だから、どの国の人にも、まさよの英語はわかりやすい、と言われるのかもしれない。(このわかりやすい、のあとには、「あんなにまちがいだらけなのに・・!」という無言の言葉が、感嘆符つきでくっついているのは百も承知)。

 

そういえば、1999年に、東京で開かれたHAPPENINGというデザインイベントのトークセッションに出たときのこと。トークに参加したのは、ほとんどがイギリスから来ていたのデザイナーで、その中には、安積伸さん、安積朋子さんというロンドン在住のデザイナーもいた。

 

そのトークセッションは、英語と日本語を織り交ぜたものだったのだけれど、そのトークのあと、朋子さんが「阿部さんはとっても流暢に英語をお話になるけれど、どこの英語なのかしらって主人と話していたのよね、アメリカの英語でもないし、でも、ロンドンの言葉ともちょっと違うし・・・しいて言えば、スコティッシュに近いかしら・・・。」と言われたので、「あら、スコティッシュって、どんな英語ですか」と聞くと、このスコティッシュ、スコットランドなまりの英語、というのは、なんと、日本で言えば、東北弁!とでもいうような方言だそうで、でも、朋子さんがあわててつけ足して言うには、「でも、ロンドンの金融なんかやっている人は、わざとスコティッシュなまりを勉強するんですって。親しみやすくて、悪い人に見えなくて、人の信用を勝ち取りやすいからって。」

 

ハレルヤ!私がヨーロッパで人の信用を勝ち取ってきた理由が、そんなところにあったとは!!!

 

 

P.S.いま町中から悲鳴が上がった。さてはドイツが負けましたね・・・

 

------

阿部雅世公式サイト MasayoAve creation www.macreation.org

 

 

 

 


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。