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ワールドカップの楽しみ方と怖いもの

ベルリンに住んでいるから、ワールドカップ盛り上がっているでしょう、というのが、このところ日本から受け取るメールの枕詞になっているので、今日はワールドカップの話。

 

とはいうものの、テニスや卓球のように、ボールが単純に往復するゲームを見慣れていたせいか、あの広いサッカーのコートの中を、虫くらいの大きさにしか見えない選手と豆のようなボールが、行くでもない、戻るでもない、戻ったかと思うと、やっぱり行く、というのが、前半45分、後半さらに45分も続く、というのを見るのは、私にとって難行苦行以外のなにものでもなく、人が大勢集まるところも苦手だし、さらには、テレビのない生活をもう20年以上続けているので、結果をインターネットの新聞で確認するくらいにしか関わらないでいる。世はサッカーなれども、私には他にやることがたくさんある。

 

そのくらいにしか、興味はないので、サッカーについては書けないけれども、せっかくそういうイベントがあるときに、ベルリンにいるのだから、テレビがなくて、サッカーに興味がなくてもわかる、ベルリンのワールドカップ体験について書いておく。

 

ブランデンブルグ門のそばにある、パブリック・ビューイング会場への最寄り駅が、私の住まいの最寄り駅でもあるので、普段はベルリンでも一番静かといってもいいようなその駅から、ドイツの国旗をマントにしたり、国旗の帽子をかぶったりした人が、永遠にあふれ出して、ぞろぞろとブランデンブルグ門に向かってゆく。これで、さては、今日は試合だな、とわかる。そして、その永遠に続くかと思われた一団がとぎれて通りが静かになると、そろそろ始まるな、とわかる。それからしばらくすると、町中に雄たけびが響き渡って、おやドイツが点を入れましたね、というのがわかる。で、そのうちに、イベント会場から、どんどこどんどこ、とドラムの音が聞こえてくる。あ、終わりましたね。とわかる。さらに、さっき駅から出てきた人たちが、ドーイチュランド、ドイチュランド、と大声で歌いながら、ラッパを鳴らしながら、上機嫌でもどってくると、それではドイツが勝ったな、ということもわかってしまう。

 

昨日は、ドイツがまた勝って4強入り、しかも金曜の夕方の試合だったから、そのまま馬鹿騒ぎをするには格好のタイミングで、夜中近くまで、ラッパと、酔っ払いの歌と、サイレンと、イベント会場からディスコサウンドの音が、風に乗って聞こえていた。そして今朝は、昼過ぎまで、町中驚くほどの静寂である。はは~ん、みんな酔いつぶれて寝てますね、というのも、わかってしまう。

 

こうやって、テレビも見ないで、試合の行方を知るのが、サッカーファンでない私の、ワールドカップ2006の楽しみ方である。

 

そういえば、ミラノにいた時、そうあれは12年前のワールドカップの時だったか、そのときも、サッカーファンには想像もつかぬ楽しみ方をしたことがある。

 

ちょうどそのころ、近所の映画館で、1920年ごろに作られた無声時代のホラー映画特集というのを1週間にわたってやっていた。私は「昔怖いもの」と「今怖いもの」ってどう違うのか興味があったので、ワールドカップはそっちのけで、毎晩映画館に通っていた。

 

私が応援しなくても、イタリアは順調に決勝に進み、その晩は、決勝戦だった。もちろん私は、そういう特別な晩であるということすら、気にしていなかったのだけれど、外に出ると、町に恐ろしいほど誰もいない。夏なので、日は長く、まだ町は十分明るいのに、人類が全部消滅して、自分だけが生き残ってしまったみたいな感じだった。

 

「そういえば、決勝戦って、誰かが言っていたな」と思い出して、「決勝だと、町はこんなになっちゃうのか、なるほど」と思いながら、誰もいない道を歩いて映画館に行くと、幸い映画館は開いていた。切符売り場のところで、開館を待っているのは、私を含めて3人だった。自分のことを棚に上げて、「こんな日に一人で映画に来てる人って、どういう人?」と思ったけれど、思っているのは、私だけではないようで、3人は目を合わさずに無言で広い映画館に入り、それぞれができるだけ離れた席に座った。

 

その日の上映は、2本立てで、無声映画時代の「オペラ座の怪人」と、もう一本はなんだったか忘れてしまったけど、ともかく音のない映画が始まった。と思ったら、映画開始の時刻と、決勝戦開始の時刻が同じだったらしく、映画が始まると同時に、あろうことか映写室から試合の実況中継が聞こえてきた。それほど大きな音ではないけれど、なにしろ3人しか人がいないから、全部聞こえる。映写室にいる人が、試合を見ているのだ。

 

「手術台の上でミシンとこうもり傘が出会ったような」といったのはアポリネールだったか、サッカーの実況中継のアフレコで見る白黒の恐怖映画というのは、十分シュールで斬新だった。主人公の女性が、かっと目を見開き、恐怖でひきつった顔が画面いっぱいに映った瞬間に、うおーっ、と雄たけびが上がって、プハプハプハーとラッパの音が響く、なんていうのは、映画監督が考えてできることじゃない。

 

というわけで、たしか、イタリアは決勝で敗れたのだけれど、あれは2度とありえない、私の貴重なワールドカップ体験でした。

 

で、映画のほうはというと、オペラ座の怪人は、今ミュージカルになったりしている現代版とは、ずいぶん様子が違ったが、音楽だけは、映画版だか、テレビ版で今も使われているものだった。

 

その1週間に見た無声恐怖映画のタイトルで覚えているのは、「カリガリ博士」、「オペラ座の怪人」、「ノートルダムの背虫男」。そういう映画を見続けてわかったのは、その当時、なによりも怖いとされているものは、奇形、精神病院、死の予告、そういうものだった。

 

今、怖いものは何だろう。

 

最近の日本のニュースが怖い。映画館のエレベーターがシ社製だったりしたら、見に行ったホラー映画より怖い。だいたい、この建物の鉄筋の数は足りているのだろうか、と思うと怖い。せっかく買った乾燥機が、いきなり火を吹く可能性があるというから怖い。安全になったり、危険になったり、株価より激しく変わる牛肉の評価が怖い。そういうものが原因で予告もなくやってくる死がこわい。

 

こんなのは、怖すぎて、映画にすることもできない。

 

 

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阿部雅世公式サイト MasayoAve creation www.macreation.org

 

 

 

 


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