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朝食のはなし

東京で暮らしていたときは、忙しいと朝食を飛ばしてしまうこともあったけれど、ヨーロッパへ来てから、朝食を抜く、ということが、なくなった。なくなったというよりも、朝食なしでは、スタートできない、というのが正しいかもしれない。だいたい、前の晩にどれだけ食べても、毎朝、あまりにも腹ペコで目が覚める。腹ペコでもう寝ていられないので、起きてしまう。朝5時に家を出て、一番の飛行機でどこかへ出かける、というような時以外は、目ざまし時計もいらないくらいである。17年たっても、外国で生きてゆくということは、自分で考える以上にパワーのいることらしい。だから、ここ異国での生活に、朝食は欠かせないのだけれど、その日の活動に一番効く朝食メニューというのは、その土地、その土地によって、違うような気がする。

 

もともと、朝食はこうでなければ、という確固たる方針もないので、住む場所の環境や状況に応じて、自分のコンディションに一番ぴったり来る朝食を模索しつつ、今日までやってきた。和食が体にいいというのは、いまや世界中周知の事実だが、ご飯、お味噌汁、おかず・・・という、日本の朝ごはん。あれは、食べてから、1時間くらい満員電車に揺られて通勤すると、ちょうどいい具合にこなれて、それからパワーになる食べ物なのではないだろうか。東京の生活ではよかったけれど、どうも、私のいままでのヨーロッパ生活には、向かなかった。

 

ミラノでは、家からスタジオまで徒歩3分、ということもあったけれど、なにしろイタリアという土地では、それこそ、朝、郵便を一通出すだけでも、郵便局の窓口のおばさんとの戦いである。朝一番から、やたらとパワーのいる国だった。だから、食べたらその場でパワー全開になるような朝食でないと、とてもじゃないが、たちうちできない。

 

そういうワイルドなイタリア生活に、一番ぴったりとあっていたのは、起きて身支度を整えたら、さっさと家を出て、近所のバールのカウンターで、立ったまま、ブリオッシュという甘いパンを1個と、カプチーノを1杯、という、典型的なミラノ人の朝食。

 

ブリオッシュは、糖分と油分の爆弾みたいなものだけれど、量を食べるわけではないから、そのくらいの塊が午前中のパワーとしては丁度いい。エスプレッソの高濃度カフェインで、ワッと全身の神経を目覚めさせ、ブリオッシュの糖分で、ガッと血糖値を上げ、牛乳のたんぱく質は、そのまま力になり、油分はそのままガソリンに・・・、そうすると、バールを出た瞬間から、いきなり全力疾走できる。

 

このエスプレッソ・カフェ。自分の家でぼそぼそ入れたのではだめで、バールで、バリスタと呼ばれるコーヒー入れのプロが気合を入れてくれたのが効く。食べ物というのは、どんなに成分が同じでも、作った人のエネルギーが入っているか入っていないかで、得られるパワーが違ってくる・・・というのは、私の持論だけれど、いいバリスタの入れたコーヒーは、それだけでエネルギーの塊だ。

 

イタリアのバールでは、どんなに混雑がすごい朝の時間でも、客に作りおきのコーヒーを注ぐようなことは絶対にしない。市場のような活気の中で、バリスタが気合を入れて1杯ずつ、客の好みに合わせたコーヒーをつくる。常連客の顔とリクエストを全部頭に入れているのが、プロのバリスタである。

 

コーヒーの文化があるとは、こういうことかと思うけれど、そのリクエストというのも、エスプレッソか、カプチーノか、なんていうだけではなく、エスプレッソも濃い目か、薄目か、カプチーノは、熱々か、ぬるめか、牛乳の泡をたっぷりか、少なめか、泡なしか・・・、客のほうも、それはそれは細かい好みがあって、それをバリスタは、全部覚えていて、目が合っただけで、よっしゃー、という感じで、「いつものアレ」を入れてくれる。こういうところは、イタリアの本当に素敵なところで、ほかの素敵でないアレコレをすべて帳消しにするくらいのものだから、このバールでの朝食が、私の16年のミラノ生活を支えたといっても過言でない。

 

ベルリンに引っ越してきたら、イタリアのようなエスプレッソを出してくれるバールは、当然のことだけれど、めったにない。イタリアのメーカーのコーヒー豆とエスプレッソマシーンを入れているカフェは、近所にも結構あるのだけれど、入れる人の気合が違うのか、水が違うのか・・・、一口飲んだだけで、元気がうせるようなエスプレッソが大半。これでは、だめだ。

 

エスプレッソ・コーヒーというのは、結構習慣性のあるものだから、引っ越してきて数日は、朝、「ううう、エスプレッソ、エスプレッソ・・・」と、手が震えるような感じで、家から森を横断して2キロも離れたところにある、まともなエスプレッソを出してくれるカフェまで歩いていって、イタリア式の朝食をとったけれど、それもなんだか無理があったからか、ベルリンでの生活が、イタリアでの生活に比べたら、いちいちが気が抜けるほど楽で、朝からそこまでパワー満タンで動き出さなくても大丈夫だからか、そのエスプレッソ禁断症状は、数日のうちに治まった。

 

それなら、家のそばのベーカリー兼カフェの、たっぷりミルクを入れたドリップ式のコーヒーも、それはそれで結構おいしいから、そこで朝食といこう、と思ったけれど、なにしろ、ドリップコーヒーだから、カップなみなみである。立ったままキュッと一口、というわけにはいかない。だいたい、イタリアのような立ち飲み用のカウンターがない。テーブル席に座って、たっぷりのコーヒーを飲み、甘いペストリーを食べてみたが、まわりは、新聞読みながら、ゆっくりゆっくりコーヒーを飲んでいる、おじいさん、おばあさんばかり。なんだか朝一番から、隠居生活の仲間入りをしたような気持ちになってしまった。まだまだパワー全開で働かねばならないのに、これではだめだ。

 

というわけで、このドイツ生活では、朝食は家でとるのがよさそうだな、と、わかってきた。けれども、休みの日以外は、起きて身支度をしたら、すぐに動き出すのが、毎日のスタートとして、習慣づいてしまったから、朝から、家でトーストを焼いたり、皿を出したり、洗ったりしていると、もう一日が終わってしまったみたいにどっと疲れて、調子が狂ってしまう。ここで、ベストな朝食はなんだろう。簡単に手に入るフレッシュな食べ物で、エネルギー変換が早く、準備に手がかからず、バランスがよく、カロリーがあって、午前中いっぱいのエネルギーが取れるもの・・・。

 

ドイツの家庭では、ミューズリーとか、コーンフレークを、よく朝食にするようで、スーパーにもいろいろ出回っているけれど、イタリアの食生活を送った後では、どうにもあれは、ハムスターのえさ、とか、トリのえさ、に並ぶ、ヒト用のエサに見えて、今ひとつ私の食欲をそそらない。繊維いっぱいで、体にいいのはわかるけれど、毎朝のパワーの源としては、いまひとつ魅力に欠ける。もうすこし、生命力を感じる食べ物がいい。

 

まず、牛乳だな、と直感した。うちの猫は、イタリアの牛乳は見向きもしなかったのに、不思議なことに、ドイツの牛乳は大好きだ。猫が考えることは、人間の私が考えることより、ずっと正しいから、ここはひとつ、猫に従うことにする。で、牛乳ときたら、ここで組み合わせるものは、バナナしかない。私は、オムツをしていた頃から、バナナと牛乳さえあれば、朝からゴキゲンな子供だったらしいから、原点に戻るのが、きっとよろしい。バナナと牛乳のことを悪く言う人はいないし、この2つなら、いつ何時でも、新鮮なものが手に入るから、ストレスもない。

 

で、この二つを一気にパワーにして流し込むには、バナナシェークだ。普通のミキサーを使うと、あと洗ったりするのが面倒だけれど、小型のハンドミキサーというのはすごく便利で、大き目のグラスに、バナナと牛乳を入れて、グラスの中でウイーンとハンドミキサーでまわすと、10秒で立派なシェークになる。そして、その場ですぐに、ミキサー本体を、洗って、戸棚にしまうのにも、10秒とかからない。これはいい。これにさらに、ココアときな粉をひとさじずつ加えた「雅世式バナナ牛乳パワードリンク」。これが、ベルリンに来てからの、もっぱらの朝食になった。

 

家を出る前に、このパワードリンクをウインウインとつくり、ダイニングキッチンの窓から、ティアガルテンの森を眺めつつ、腰に手を当てて、一気に飲み干す。もうそれで、よ~し!と気合が入る。気合が入ったところで、家を出る。その日の仕事にもよるけれど、このとき頭の中を回っているのは、モーツァルトの魔笛の序曲である。(気に入った音楽は頭の中に入っているから、i-pod はなくても、音楽は聞こえてくる。)大学で、学生とのアポイントメントが、わんこそばのように入っているような日は、もっと単純明快に、ロッキーのテーマでゆく。

 

こうやって、バナナ牛乳で毎日をスタートして、思えばもう1年が過ぎた。体調は万全である。当分は、これでやっていけそうだ。

 

 

阿部 雅世 公式サイト www.macreation.org

 

 


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