2019年 元旦 石畳の上にも30周年!
阿部雅世 公式サイト リニューアルしました MasayoAve creation www.masayoavecreation.org
* 著書、翻訳書、寄稿エッセイの抜粋、公開中。designship 2018 の講演記録 公開中。
元旦デザイン体操2014
昇り竜の2012年の謹賀新年から、2013年を飛び越えて、2014年の新年も、大荷物を抱えたまま始まってしまった。脱落寸前のブログですが、一応これも生きてる証拠。気を取り直し、気持ちだけは新たに、暖冬のベルリンより、明けましておめでとうございます。
朝、目を覚まして「えっと、今日はどこにいるんだっけ」という生活が続いていたが、お正月は、めでたくもベルリンのティアガルテンで、初デザイン体操A.B.C. 気がつけば、タイトルも更新しないうちに、石畳の上には24年となり、まもなく四半世紀の欧州生活。ハチ、うさぎ、りす、きつね、と体操仲間を増やしてきたティアガルテン生活も、今年でなんと八年目。その八年目の元旦から、めでたく体操仲間に加わってくれたのは、なんとワシの子、イーグルボーイ。
イケメン・イーグルボーイ、ここに参上!
ティアガルテンの桜
東京より1カ月遅れて、ベルリンの春がやってきた。北国の春は、訪れは遅いけれど、冬眠からさめてからは早回し。枯れ枝のようにじっとしていた、森の木々のこずえも、二週間くらいの間にすっかり緑で覆われて、あらゆる花が一斉に咲きだし、気温はさほど高くもないのに、もう初夏の様相。長い春を楽しむことに慣れて育った日本人の私にとっては、欧州生活がどれだけ長くなろうとも、なんだかとても短い春だ。
ティアガルテンの森には、50年前に、日本の天皇から寄贈されたという、日本の八重桜の木が一本だけある。たった一本の桜なので、ベルリンでは、花見の対象にもなっていないけれど、それでも、じっくりと観察すれば、「日本人にとっての春らしさ」を十分に堪能させてくれる。
今年は、東京の桜の開花直前に、ものすごい規模の春の台風が来て、トラックがひっくりかえったり、屋根がめくれあがったり、というニュースがあって、「ああ、東京の桜も今年は開花前にちぎれて飛んでしまったか」と思いきや、そんなことは全然なくて、ちゃんと花が咲き、満開になり、そして、散っていったというのを見た。ちょっと力を入れてちぎれば、むしり取れてしまうような、細い茎の先についている、桜のつぼみのしなやかな強さに、今更ながら驚いたので、今年は、1カ月遅れのベルリンの桜を、つぼみのうちからよく観察することにした。本日は、その観察写真日記。
2012年4月2日。ベルリンに移植されて50年もたつのに、つぼみの時から驚くほど日本的。
こういう、どこへどう連れていかれようと、絶対に変わらないものを、アイデンティティーというのだな。
昇り竜2012
目の前に立ちはだかる「やること」の山を、なりふり構わず片づけているうちに、元旦も一瞬で通り過ぎて、もう21日である。1月23日は、ルナニューイヤーデー(旧正月の元旦)だそうだ。シンガポールからのメールで、本格的なドラゴンイヤーの到来を知る。
昨年は、自分のために出かけることがほとんどない一年だったので、年末に急に思い立って、「仕事の山」ではなく、「本物の山」を見るために、2012年の元旦はチューリッヒで過ごすことにした。ベルリンは、周囲に山のない、ぺったんこな土地に上にあるので、スイスやオーストリアの国境近くまで南下しないと「本物の山」に出会えない。世界には、山のない国もあり、海のない国もある。欧州にいると、海彦山彦がバランスよくそろっている国は、実は珍しいことに気づく。
暖冬で、曇りと雨のぱっとしない年越しだったが、元旦の午後に急に明るく晴れてきたので、チューリッヒで一番標高が高いという丘の上に行ってみることにした。風が強く、ものすごい勢いで雲が流れていて、丘の上の吹きさらしの展望台に上ると、ちょうど緞帳が開くように雲が移動して、神々しいような立派な山々が姿を現した。そして、空を見上げると、見たこともない見事な昇り竜が、にょろにょろと体を伸ばしながら、頭の上を昇ってゆくところだった。
これです。これが見たかったのです。大変満足。というわけで、おそばせながら、2012年最初の発見物「昇り竜」を、新年のご挨拶代りにお送りします。
たくさんの小さな希望を発見しながら匍匐前進する、よい年になりますように。
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おおはちこはち
もうこのまま夏も終わりかと思うような、うすら寒い日々が続いたが、昨日は久しぶりに快晴。太陽が出ると、あ、まだ夏がそこにいたのね、と、気持ちは急にワンシーズン戻る。はちさんたちも、そういう気持ちになるらしく、まどから、おおきなはちが飛び込んできて、ぶんぶんしていたかと思うと、ウィリー用においておいたはちみつを発見して、早速ごくごくと堪能。ウィリーやマーヤより、一まわり体が大きい、おおはちさん。
おおはちさんは、頭にも毛が生えている。
あ!はちさんが、もう一匹登場。 阿部家はちカフェ大繁盛!!!こちらは、普通の大きさの、こはちさん。
はちさん2号ウェルカムバック
1号マーヤのはちさんが来なくなって、つまらない数日を過ごした。また、ふらっとやってくるかもしれないので、はちみつのおさらは、そのままにしておいた。
部屋の掃除をしようと、ベッドの足もとのソファーに積んであるクッションをどかしたら、そこに、小さく体を丸めたまま羽根を開いて乾いたはちさんが一匹いた。白い紙にのせて、虫めがねでよく見ると、鼻のところに黒い点のついた、1号マーヤだった。乾いて死んでしまっても、笑っているような顔をしていた。もしかしたら、働き蜂人生の最後のお別れにぶんぶんとあいさつに来たのに、私がガーゴー寝ていて気がつかなかったのかもしれない。悪いことをしてしまった。それでも、ここで命を全うしたのなら、ここでお弔いをしてあげましょうと、きれいな花の咲くベゴニア系の植物の鉢の土に小さな穴を掘って埋めて、小さなピンクのお花を上にのせた。
ベルリンは、相変わらず寒い夏が続いている。もうこれで、今年のはちさんの季節は終わりだな、と思って、はちみつのお皿も片づけた午後、き、来た。はちさんが一匹飛び込んできた。おお、仮面ライダーV3の登場か!?しかし、1号マーヤのように、蜂蜜ください、と主張に来るわけではなく、鏡にぱつんぱつん頭をぶつけたりしながら、神経質に部屋の中を飛び回っているだけなので、大慌てで蜂蜜を皿に盛り、どうぞ~、はちみつここです、どうぞ~、と、皿を持って追いかけまわして、やっと気づいてもらった。
むむっ。そのおかおの隈取りは、その羽根のつき方はもしや・・・。
はちさん1号ラストショット
世界の猛暑を横目に見ながら、今年のベルリンは冷え冷えの冷夏。はちさん2号登場の翌朝は、大変な雨降りと強風。ティアガルテンの木々のこずえは、うねるように揺れ続け、大荒れの一日。気温も16度くらいまで下がってしまったが、それでも、1号マーヤのはちさんは、アメニモマケズ、カゼニモマケズ、果敢に通ってきた。
はちみつをなめ尽くして、おさらがきれいになったところで、おかわりを追加すると、はちさんは、横跳びダンスでお皿の上をぶんぶん飛び回って、喜びの舞。指を出したら、ちょっと止まって、また踊った。かろうじて、止まったことを感じられるほどに、デリケートな足の先6本の刺激。おお、手のりはちになりそうだ。
本日もなめつくします。
一日中雨と風が続き、こんなに寒くなって、はちさん大丈夫かしら、と心配したが、はちさんは雨の中に飛び出してゆき、そして、戻ってくる。一日に何十往復もくりかえす。だから、いないな、と思ったら、「はちさん!」と何回か呼べば、窓から飛んではいってくるので、大変にかわいい。寒い間は、おうちにしばらくいればいいのに、と思ったが、かごに入れて飼うわけにもいかないので、 ぜいぜい蜂蜜をたっぷりふるまって、体を温めてもらっていたが、その午後の大飲みを最後に、その翌日から、はちさんは、ぱたりと来なくなってしまった。夜は、13度くらいまで、気温が下がってしまったので、はちさんには、寒すぎたのかもしれない・・・。去年は、3代くらい、べつのはちさんが通ってきたけれど、今年の冷夏では、それも難しいかな。せめて、あそこへ行け、と、後輩に伝えておいてくれているといいけど。夏の喜びが、ひとつ減ってしまった。
はちさん1号ラストショット。ほんとうにいいはちさんだった。後光が差してる。
毎日来てくれて、本当にありがとう。
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はちさん2号、見参
はちさんは、今日も夜明けから、キッチンの窓から出たり入ったり出たり入ったりしながら、はちみつをなめる一日。
私は、奥の仕事部屋で、一日中作業の日。 ここ数日のベルリンは、肌寒いような冷夏が続いているが、午後には日が出てきたので、三枚ある仕事部屋の窓の一枚を全開にして作業を続けていたら、はちさんが飛び込んできた。ぶんぶん飛んだかと思うと、開けていない窓ガラスに、ぱつんぱつんと頭をぶつけておろおろしているので、あれれ、あれれ、これはうちの子ではないのでは?と思って、席を立って見にゆくと、別のはちさんだった。窓ガラスに何度か頭をぶつけた後、今度は、窓ガラスの上を「でられない、でられない、ここから出られない・・・」と、大慌てで徘徊。すぐ隣の窓は、開いているのに。まあ、でも、人間だって、似たようなことを、しょっちゅうやっているわけであって、このあわてぶりは気の毒なほど。せっかく、いらしたので、この子にも、蜂蜜をふるまうことにした。どうぞ。
仮面ライダー2号。一文字隼人。
ライダー1号、本郷猛とは、羽根の感じが、ちと違う。顔の隈取りも。
いや、このおっちょこちょいぶりは、ウィリーか。1号は、もちろん、みつばちマーヤです。
2号ウィリーは、これはこれはありがたいと、ごくごく蜂蜜を飲んでいたが、満腹すると、あわてて飛びたち、失礼しました~、開いている窓から出て行った。2号さんは、その後帰ってくることなく、たまたま立ち寄っただけの一見さんだったことがわかった。はちならみんな、同じ蜜のあるところに、戻ってくるというわけではないのね。
夕方窓を閉めるまで、はちみつはそこにおいておいたが、2号ウィリーはもう来ないみたいなので、お皿はキッチンに持ってゆき、残ったはちみつは、1号マーヤに全部なめてもらった。
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一寸のはちさんにも五分の魂
今日も、はちさんは、忙しく通ってくる。香港のビルの屋上で、養蜂をしている人の記事が新聞にあって、ハチと心を通わせるために、防護服を着ないで作業するのだと、書いてあった。おお、そうか。養蜂家も、ハチと心を通わせるのだな。私だけではなかった。
「一寸の虫にも五分の魂」とうことわざがある。「どんなに小さく弱いものにも、体の半分くらいの大きさの魂やそれなりの主張がある」という意味らしい。このことわざを思いついた人は、何の虫と心を通わせて、そう思ったのだろうか。一寸三センチだから、小さい尺取り虫あたりかな。
毎日やってくるはちさんの行動を見ていて、その言葉の通りなんだなあ、と実感。魂が大きいだけではなく、はちさんには、それなりの主張がある。
今日は、奥の仕事部屋に一日こもっていたら、はちさんが、蜂蜜の催促という、それなりの主張をしに来た。
はちさんには、はちさんなりの、考えがある。
はちさん、喜びの舞
今朝も、はちさんのモーニングコールは、朝5時である。はいはい、もう自動的に起きてしまう。
相手はハチとはいえ、ちいさいこどもがおなかをすかせていると思うと、起きて朝ごはんの支度をしまうというのは、母性本能というものなのかしらん。
あさから、みごとに、はちみつがない。昨日のはちみつは、ぜんぶなめつくしてあった。
朝からはちさん
けさは、はちさんに起こされて、眼が覚めた。夜明けとともに、朝5時前。朝っぱらから、ぶんぶんぶんぶん、頭のまわりを飛び回る。「キッチンに、自分の蜂蜜があるでしょ。あっちに行ってなめておいで。」と言って、布団にもぐりこんだが、それでも、ぶんぶんぶんぶん、ぶんぶんぶんぶん。
「はて、もしや、もうはちみつがないのかしら」と思って起き上がり、キッチンに行くと、ない!蜜が全部ない!。全部きれいになめてしまっていた。つまり、「もっとくれ」というモーニングコールだったらしい。
というわけで、朝日を浴びてモーニングはちみつ。
今日もはちさん
うふふのふ。今日もやってきた。
毎日、忙しく出たり入ったりしながら、小さいエスプレッソスプーン一杯の蜂蜜を召し上がる。 スプーンが小さいので、写真で見ると、ものすごく大きなはちに見えるかもしれないけれど、はちさんの全長は、1センチくらいです。
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はちさんが来た!今日も来た!
昨日のはちみつは全部なめてしまって、皿はすっかり空になっていた。新しい蜂蜜どうぞ。
お顔が蜂蜜に映っている。 スプーンを洗った時の水が少し残っていて、今日のはちみつはゆるめ。飲みやすいですか?
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は、は、はちさんが来た!今年も来た!
3.11以降、はじめて心からうれしいできごとかも。このうれしさを日本中におすそわけ。
はちさんや、毎日やってきて、私と日本を励ましておくれ。
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フランスの丸い窓のある家
もう二年も前になるが、無印良品の家カタログという冊子に、「フランスの丸い窓のある家」というエッセイを寄稿したことがある。その時は、文章のみの寄稿で、写真は紹介できなかったのだけれど、2002年の写真フォルダーの中でさがしものをしていたら、その家の写真がたくさん出てきたので、本日は、写真とともに、あらためて、「フランスの丸い窓のある家」をご紹介。
ベルリン雪だるまの一生
例年より一足早い12月に、びっくりするような大雪に見舞われて、膝まで雪に埋もれるようだったベルリンも、その後は、急に気温が上がって、雪はすっかり溶けてしまった。雪のない北国の冬は、寒いばかりでつまらない。去年のいまごろは、森はカキンカキンに凍って、どこまでも真っ白で、ブログには「ナノ雪」のことを書いた。
その頃の写真のフォルダーを整理していたら、雪だるまの写真が出てきた。3か月もの間、ずっとマイナスの気温が続いたので、ティアガルテンの森の中に、誰かが年初めに作った雪だるまは、ずっと溶けることなく、しかし、みごとに老けてゆくのだった。本日は、その証拠写真を。
野良はち-ゲスト・オブ・ザ・イヤー2010
2010年の夏は、人生初めてともいえるような長い夏休みを取って、「ベルリンから出かけない生活」を堪能した。自分が動かないでいると、お客さんを迎えたり、もてなしたりすることもできる。
8月も半ばを過ぎて、日差しがだいぶ柔らかくなってきた明るい夏の午後、おもてなしのアップルパイをつくろうと、リンゴをくつくつと煮てパイ皮で包み、オーブンに入れた。良い色に焼けてきたので、オーブンから出して、アツアツのところに包丁を入れると、リンゴと一緒に煮たシナモンの甘い香りが、部屋じゅうに広がる。人数分のお皿に、パイを切り分けていたら、よい香りが窓の外まで流れていったのか、開けてあったキッチンの上窓から、はちさんが飛び入りしてきた。よほど味見をしたいとみえて、窓辺のティーテーブルの上に置いたパイのまわりを、ぶんぶんと飛びまわっているので、それならば、よろしかったらどうぞ、と、パイ皮のかけらを、窓枠のところにおいてみた。
おお、ここまで喜んでいただけるとは!
そして、この日から、9月の終わりごろまで、毎日のように、はちさんをお迎えし、もてなすことになった。はちさんは、間違いなく、2010年のゲスト・オブ・ザ・イヤーである。通いの野良猫というのはよく聞くけれど、はちも同じことをするとは知らなかった。というわけで、今日は、その「野良はち」の話。
欧州6空港のサインコレクション
エストニア往復から解放されてからしばらくは、空港も、飛行機も、しばらくはもういいです、という気分で、先に延ばせる出張は先に送り、ベルリンでじっくりこなせる平和な仕事を堪能する日々を過ごしたが、昨年後半あたりからは、そうもしてられなくなり、パリ、ロンドン、デュッセルドルフ、チューリッヒ、ミラノ、ウイーン、ミュンヘン、フランクフルト・・・と、これまたよく飛行機に乗ったり降りたりする生活がしばらく続いた。
せっかく、欧州各地の空港を出たり入ったりするのだから、ただ通り過ぎるのも芸がないと思い、各空港に降り立って出口へ向かう通路を歩きながら「空港のサイン」を集めてみた。ここのところ、グラフィック系の仕事に関わることが増えて、そのあたりを、一から、いや、ゼロから勉強し直さないと、と意識してのことでもある。
どこへ行っても1-2時間で着いてしまうので、ほとんど国内出張のようなものだけれど、国境を越えて、空港に降り立てば、言葉が変わり、文化が変わる。空港なんて、一見どこも似たり寄ったりの最たるものであるが、それでも、よくよく目を凝らせば、その国の真髄に触れるような違いを見つけることができる。空港のサインのように、同じようなルールでデザインされたものにも、お国柄や、都市の性格は、良くあらわれているもので、いままで、さんざん通り過ぎた、世界各地の空港で、私の二つの「フシアナ」は、いったい何を見ていたのかと、あらためて驚く。ものが目に映っているからといって、見ているとは限らない。見えども見えず、とはまさにこのこと。
というわけで、本日は、2010年フォルダーより、欧州6空港での収穫品を一同に公開。それでは、ヨーロッパ空港巡り、ご一緒にどうぞ。
『にほんご』 根本を問う教科書
昨年のあれやこれやを引きずりながら今年に突入したが、やっと1週間ほどの時間ができたので、1年分の仕事フォルダーを整理する。障害物走のハードルが、ずずず~っと見えなくなるほどの向こうまで並んでいるトラックを、ただひたすらゴールに向かって走る1年だったので、走りながらこなして、えーい、とパソコン内のフォルダーにほおりこんだままになっているものもたくさんある。気が遠くなるほどある。フォルダーを開けると、出てくる出てくる玉手箱・・・。
今日は、その中から、昨年のAXIS誌vol.148 (2010年12月号)に寄稿した書評をひとつ転載。日本に、こんな素晴らしい教科書をつくった人たちがいることを今頃知って、昨年一番の衝撃を受けた、「にほんご」という本についてです。
4か月カレンダー
毎年、気が遠くなるほどの量のカレンダーが印刷されて、文房具屋に並ぶ。カレンダーは、パソコンをひとクリック、手帳をひと開き、アイフォーンならひとはじきすれば見えるものになったけれど、アトリエでは、ぱっと見上げた壁に暦がかかっていてくれるほうが、何かとありがたい。にもかかわらず、これなら壁にかけておいてもよい、と思えるような、カレンダーにはなかなか出会うことがなく、手帳をいちいち開く生活を、随分と長いことやってきた。
デザイン的にいまひとつ・・・、ということもあるけれど、それは別にしても、めくらないと他の月のカレンダーが見られないのは、自分の仕事の予定を考える時、かなり不便だと常々思っていた。前後の月のカレンダーが、左右に小さく印刷してあるタイプのものもあるけれど、字が小さくて、そう実用的ではない。
かといって、1年分のカレンダーというのは、過去と未来をいつも一年分、前後に連れて歩いていて、これは、前に100人、後ろに100人子供を連れて歩いているようで、見るだけでも疲れてしまう。10月以降になると、もう見ることはほとんどない過去ばかりが場所をとって、結構必要になってくる「あくる年」の予定が見えなくて困る、という問題もでてくる。
3か月分がまとめて印刷してあるカレンダーは、企業の贈答用カレンダーとしてときどき見るけれど、どういうわけか、これはデザインがひどくて、毎日見ているだけで、確実に美的センスが失われていきそうなものばかりなので、そばに置いておきたくない。
文具屋のカレンダーコーナーにでてくる、山のような「つかえない」カレンダーを前にして、毎年、ほとんどあきらめに似たため息をついていたが、今年は、そのあたりのジレンマを解消してくれる、4か月カレンダーなるものを発見して狂喜した。
2011年の元旦うさぎ
石畳の上も、気がつけば21年に更新。
パスワードもすぐに思い出せないほど、更新を怠った2010年でありました。情けないことこの上なし。反省。
気を取り直しての本年初ブログは、記録的な積雪の森で無事キャッチした、ティアガルテンの元旦うさぎをお送りします。
本年もどうぞよろしくお願いします。そして、みなさま、素敵な一年を!
SPRING GAEDEN 春の庭
ずっと雪景色が続いたドイツの冬は、振り返り、振り返り、ゆっくりと遠ざかり、ベルリンのティアガルテンにも春がやってきた。日本の春は、梅の香りや、桜の花びらになって、ふわふわと空中を漂いながらやってくるけれど、北ヨーロッパの春は、地面から突然生えてくる。
わっ。
ナノ雪
こんなに長い間雪景色の中で暮らすのは初めてだ。1月からの日照時間は、全部あわせても数時間。年が明けて初めて太陽を見たのは、1月の31日だったか。それでも、ずっと薄明るい感じがするのは、真っ白になった地上が淡い光を反射するからだろう。雪が少なかった去年までの冬は、もっと真黒真っ暗だった気がする。雪は北国の冬の明かりだ。
太陽が出ると、世界が一斉にきらきらと光りだして、ああ、これで春が来るのかしら、と思うけれど、それもつかの間、粉雪よりもずっとずっと細かい乾いた雪が、空中を舞い踊りはじめて、また薄明るい雪景色に戻る。
こんなに細かい雪を見るのも初めてだ。ナノスケールの雪ということで、「ナノ雪」と名づけた。ナノ雪は、コンコンでも、シンシンでもなく、ただその粒子がサラサラと舞い踊り、砂漠の砂が、砂丘を流れるように、積もった雪の表面を流れながら積もってゆく。積もっては凍り、凍っては積もり、それが溶けかかってはまた凍り、その上にまたナノ粒子のパウダーをコーティングをするようにして積もる。
この冬は、エストニア通いや、飛び回ってこなす仕事からしばし解放されて、久しぶりに仕事場に根をおろしている。ミリ方眼の升目を一つずつ塗りつぶしてゆくような、根気と忍耐の平和な仕事に囲まれて、ゆっくりゆっくり通り過ぎてゆくモランのようなベルリンの冬を過ごす。
WINTER GARDEN 冬の庭
久しぶりに地に足をつけて過ごすベルリンの1月。30年ぶりの大寒波ということで、大みそかからこちら、ずっと氷点下の温度が続いている。一番気温が下がった時でマイナス18度、ここ数日はマイナス10度前後。ベルリンに来た年も、マイナス15度くらいになったけれど、あの年は、一度 降った雪が、そのまま凍っていたような感じだった。今年は、味の素みたいな乾いた粉雪が何度も何度も降っては積り、本格的な雪景色。木の枝や茂みにも、ホイップクリームのような雪が、どっかりとのっている。窓から見えるティアガルテンの森はどこまでも真っ白で、町はカキンカキンに凍っている。道が凍結していて、車ものろのろとしか走れないせいか、町はものすごく静かで、「明けました!」という雰囲気の来ないまま、ずっと冬眠しているかのようだ。そんなまま、もう1月も終わろうとしており、明けた感じはしないけど、ここで一区切り。たいへんおそばせながら、2010年、あけましておめでとうございます。
ティアガルテンの森があまりに美しいので、夜が明けると家を出て、デジカメを手に毎日森を歩く。真っ白で一見何にもないようだけれど、目を凝らせば、奇跡のようなデザインのアルファベットが、そこにもここにもあるので、発見力を鍛えるデザイン体操にはうってつけの環境。少し余裕を持って歩け ば、アルファベット以外にも、本当に素敵なデザインが山のように見つかる。それも、今、写真に撮っておかなければ、刻々と変わってしまうものばかりなので、寒くてもこればかりは、やめられない。森には、なんでもあるんだな、すべての答えがあるんだなと思う。寒さのせいでデジカメのバッテリーは20分くらいしか持たないけれど、静寂の森の中での「美しいもの狩り」に、怪盗赤ずきんは今日も行く。
本日は、今月の収穫の中から、心ばかりのおすそわけ。
ファーブル植物記
もう一年近く前になるけれども、「昆虫記」で有名なファーブルによる「植物記」が、平凡社ライブラリーの文庫として出版された。私は、虫や草木を観察するのが、いまだ面白くてたまらないファーブルファンなので、これは、万歳したくなるくらい嬉しい本。
表紙は、安野光雅さんの絵。安野光雅さんは、世に知られたファーブルの大ファンで、ファーブルのオリジナル昆虫記をフランスの蚤の市で獲得されたこともある(羨ましい!!!)という方で、私は安野さんの絵と本の大ファンでもある。翻訳は、先月に亡くなられてしまった動物行動学者の日高敏隆さんと林瑞枝さんの手によるもの。私の世代は、少なからず日高敏隆さんの本を通して、動物や昆虫の行動の不思議に目覚めさせらている。 この点でも、もうひとつ万歳の本。
昨年入手して以来、この本は、愛読書の本棚から時折取り出しては開いてみる大切な一冊になり、今年のAXIS誌4月号の「本づくし」というコーナーでも、紹介させていただいた。パソコンの中のファイルを整理していたら、その原稿が出てきたので、今日は、それをご紹介。
ムナーリのことば
十年以上愛読し続けてきた、ブルーノ・ムナーリの特選短文集 Verbale Scritto を、写経するような気持ちで翻訳したものが、「ムナーリのことば」(平凡社)という本となって世に送りだされた。
ムナーリは、本の中にこんな言葉を残している。
子どもの心を 一生のあいだ
自分の中に持ち続けるということは
知りたいという好奇心や
わかる喜び
伝えたいという気持ちを
持ち続けるということ
SPIRIT GARDEN 2009, Mantova
イタリア・マントバでの子供のためのワークショップSPIRIT GARDENは、マントバ文学祭Festivaletteratura Mantova 2009 のイベントの一つに招待されて開催したもの。 マントバ文学祭は、マントバ市民にとって、一年に一度、一番の大イベント。普段は、これほど静かな町ってないだろう、というくらい、静かなマントバが、この5日間だけ、世界中の文学者、文学愛好家を呼び集めて、世界の中心 になる。5日間の開催中、作家やアーティスト100人が世界から招待され、朗読会や、トークやディスカッション、ワークショップ、展覧会、記録映画の上映など、200以上のイベントが、朝の10時から夜中すぎまで、町じゅうのいろいろな場所で開かれる。市内の学校は休校となり、高校生以上の学生は、全員、その運営スタッフとして働く。また、普段は隠居生活を送っている人も、記録写真を撮る係になったり、イベントの受け付けの手伝いをしたり、まさに市民全員参加の文化祭。
SPIRIT GARDEN 2009, Merano
2006年の東京オペラシティーアートギャラリー、2008年の静岡市クリエーター支援センター(the center of creative communications CCC)で行った、子供のためのデザインワークショップ「SPIRIT GARDEN」を、今年はイタリアで2度開催した。5月には、イタリアの北の国境に近い山の中の町メラーノ(Merano/Meran)で、そして、この9月には、イタリア半島の長靴の付け根の真ん中あたりに位置するマントバ(Mantova)で、SPIRIT GARDEN -精霊たちの森- を、それぞれの地元の子供たちとデザインした。
日本では、午前午後通して1回6時間のワークショップだったが、このイタリアでの2回は、他のイベントとの兼ね合いなどがあって、数時間ほどしか時間がもらえず、駆け足ワークショップになってしまった。でも、国が変わっても、子供のきらきら光る観察眼や、プロジェクトを理解する力や、集中力の素晴らしさに、まったく変わりはなく、イタリアでも、スケールは小さいながら、立派な2つの精霊たちの森を創ることができた。今回と次回のブログでは、その2つのワークショップの話。