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嵐のあと

2009年が始動してから8か月半。どうやってここまで走ってきたのか、意識も朦朧としているような感じだけれど、ともあれ一つ大きなゴールにたどりついて、やっとブログに復帰。

いやはや、ほんと。おかえりなさい、私。

国際マスターコースを開けるために、力を尽くして通っていたエストニアだけれど、昨年の国際経済危機以来、国の経済状況が見る見る悪くなってしまい、今や 大変なことになっている。海が凍っていた今年の初めには、まだ楽観的な空気もあったものの、三月を過ぎたあたりから、目に見えて状況が悪くなり、国の破綻も冗談ではなく、ささやかれるようになってきた。小さな国というのは、こういうときに本当に脆いもので、国立のエストニア藝術大学でも、さまざまな予算がさかのぼってストップ。大きな事業は、すべて保留になったり、無期延期になったり。会議を重ねるほどに、暗い穴の中を覗き込むような、まったく先の見えない状況になってきていることが、肌で感じられるようになってきていた。ヨーロッパ主要都市からの直行便も途絶え、銀行の海外送金に制限がかかるようになってきて、とてもではないが、新設の国際マスターコースの遂行を、参加者にギャランティーできる状況ではなくなっていた。

せっ かく準備してきた国際プロジェクトを考えると、残念無念ではあるけれど、これはもう外国人が役に立てる問題ではなく、学科の建て直しや、新カリキュラムを作るという大仕事は、ひと通り終わったので、 国際マスターコースの開催は見あわせることにし、新年度のプログラムを国内プロジェクト中心になるように大急ぎで書きなおし、この人ならこの危機の中でも良い教育を進められるだろうという、物静かで力のあるエストニア人の助教授を説得し、その人を主任教授に すえた新しいスタッフ編成をしなおした。そして、今期は、ドイツ学術協会のサポートで実現することになっているベルリンの大学と共同で計画したワークショップにだけは、予定通り指揮することを約束し、あとは様子を見ましょうということで、8月末を持って任務に終止符を打った。 そんなこんなの半年で、ほんとうにへとへとになった。

エストニアは、旧ソビエト東欧の中では、一番の先頭を切って躍進していた国で、二年前に、主任教授の仕事を始めた時は、たくさんのプロジェクトが、元気に動 いていて、ヨーロッパのたくさんの都市から直行便が飛んでおり、ベルリンからなら、直行で一時間半。ベルリン‐ミラノと同じ距離を飛んでおり立つタリンの 旧市街は、ドイツの中世の町がそのまま残っていて、おお、こんなに近い所に、ヨーロッパの隠された秘境が!という感じだった。バジェットエアの空のインフ ラが整備されつくしたヨーロッパで、フライトさえあれば、学生たちは、国を越えて講座に参加することが、日常的になってきているので、ヘルシンキから飛ぶなら三十分もかからないし、ストックホルムからなら一時間、ウイーン、パリ、ブタペストから二時間、ロンドン、ミラノ、モスクワからでも、三時間のフライ トで着けるという条件は、人が行き交う場所として大きな希望があると思われた。地理的にも、文化的にも、西洋と東洋の融合地点にあり、この地の利の良さならば、いわゆる「西洋式」とは違う、真の意味での国際マスターコースを開設するのに、なかなかふさわしい場所という気もした。

それで希望に満ちて、新しい国際プログラムの準備をはじめ、この年間の間に実験的に行ったパイロットプロジェクトの手ごたえは上々という感じだったのだが、国際金融危機を境に、直行便の路線が一つ、また一つと閉じ始め、 昨年の十一月からは、ベルリン‐タリン路線も閉鎖されてしまった。しかたがないので、ラトビアの首都リガ経由で通ったが、リガの小さな空港で乗り継ぎ、Fokker50という恐ろしく小さなプロペラ機でむかうエストニアは、地の果てかと思うほど遠く、インフラによって、こんなに印象が変わるものかとも思うが、インフラの魔法が切れてしまうと、エストニアは、ほんとうに北の果ての小さな国になってしまうようだった。

往復にかかる時間も、直行便の三倍くらいかかり、日中をつぶさずに往復しようとすると、タリンのホテルにチェックインするのが、夜中すぎの一時半。 チェックアウトは、朝の四時半だった。それでも、面白いパイロットプロジェクトが次々と実現していたので、嬉々として通いあげたけれど、あ、私、相当疲れ ているな、と思ったのは、いつものごとく、ベルリンでの仕事をぎりぎりまでやって、出かける前に早い夕食を食べ、キッチンを軽く掃除しゴミを捨て、あたふ たとサムソナイトを引いてタ クシーで空港に向かい、チェックインをし、手荷物をX線のコンベアに通し、もう搭乗が始まってい る ゲートに並び、飛行機に乗り込み、座席に座り、やれやれとシートベルトを締めようとしたら、なんと!エプロンをしたまま飛行機に乗っていた。これには、自分でも絶句した。最後の締めは、新学期も始まって しまうし、全速力の最後の馬鹿力で駆け抜けて、夢から覚めたように、ベルリンの人である。2年間の大学の仕事で、やりとりしたメールを整理してみると、受信メールが3420通、送信メールが3656通・・・。今思えば、どうやってこなしたのか覚えていないが、とにかくすごい二年間 だったんだな、と思う。

こ の小さな素朴な国は、ソビエトからの独立が確固たるものになったと同時に、投資バブル、不動産バブル、ローンバブルという、十年以上も世界を支配してき た、たくさんのバブルに集られて、その力で躍進させられていたのだった。しかも、自分の足で歩き始める前に、バブルの餌食になってしまっていたので、バブルがはじけてしまうと、残像を追い続けるか、その中に座り込んだまま途方に暮れるしかないのだった。あのシンデレラのお話のよう に、時計が十二時を打ったとたん、金ぴかの馬車は、かぼちゃに戻り、立派な衣装の御者が家ネズミに戻ってしまう。バブルというのは、本当に恐ろしい魔法だと思う。

そ れでも、この国には、この麻薬のような魔法が吹き荒れた中でも、頑として魔法にかからなかった、頑固で素朴で厳しく透き通った目をした人達がいる。二年間 のエストニア通いの間に知り合ったそういう素晴らしい人々の仕事が、焼け跡に芽を出す小さな野草のように、美しく優しく強いものとして、この土地に息づい てくれたらよいなと思う。それから、その野草を餌食にする姿の見えない巨人には、もう二度とあらわれないでほしいとも。

P.S.エストニア最後の夏季特別講座は、サーレマ島の古い民家を改装して、オルガニックソープを作っているGoodKaarma社 との共同プロジェクトだった。

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エストニアの毛虫くん! いつかまたね!

 

MasayoAve creation 公式サイト  www.macreation.org

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Tytto

初めてコメントさせて頂きます。
ご活躍はいろいろなところで拝見しております。
私もこの国の経済状況を少なからずとも感じております。
この週末はTallinでのデザインイベントがありますが、
その辺には影響は無いのかな?なんて思ったりしています。

by Tytto (2009-09-24 16:33) 

阿部雅世

Tytto 様、
残像の中での宴は、まだまだ続いているようですが、その宴の請求書は、誰の背中に張りつけるのだろう、と思っているのは、私だけではないようです。一度バブルの魔法にかかってしまった人々が、享楽の夢から覚めるのには、どのくらい時間がかかるのでしょうね。これは、エストニアだけの問題ではなくて、世界中の問題かもしれません。魔法よ、解けろ!解けろ!解けろ!

by 阿部雅世 (2009-09-25 04:09) 

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