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ハリケーンの長い長い一日

ハンブルグ工芸美術館で、テキスタイルデザイナー須藤玲子さんの展覧会 「2121TEXTILE VISION OF REIKO SUDO AND NUNO」 が開かれている。須藤さんとは、HAPTICの本のための座談会でご一緒した時に、初めてお会いして、その後、いろんな本や雑誌で、作品を拝見したけれど、実物のテキスタイルを見る機会はなくて、いつか見てみたいなあ、と思っていたところ、この展覧会を企画しているレスリーミラーさんから、18日夜6時からのオープニングの招待状が届いた。

 

須藤さんご本人も、日本からいらっしゃるという。そんな素敵な機会はめったにないので、1泊でハンブルグに行くことにして、電車とホテルの手配をし、楽しみにしていたら、18日は、朝から土砂降りの大雨。ベルリンでは、霧雨のような雨か、通り雨のような雨ばかりを体験していたので、こんなに降るのは珍しいな、と思って、インターネットのニュースを見ると、ハリケーン情報がでていた。ハリケーンとは、大陸の上で暴れる台風である。ベルリン、ブランデンブルグには、18日夜ご到着、という予報。夕方から風が強くなるという。

 

昼過ぎまで、大学の6階最上階にある、我がハプティック・インターフェース・デザイン学科の部屋で、学生とのミーティングをしていたら、用務員のおじさんが、傾斜した天井についている天窓がちゃんと閉まっているか、点検にやってきた。この最上階の教室を、私は誇りを持って「ペントハウスのアトリエ」と呼んでいるが、つまりは屋根裏である。万が一雨が漏ったり、天窓が割れても問題がないように、大事なものや、マテリアルのサンプルは非難させておく。

 

一度家に戻り、窓がちゃんと閉まっているか、確認してから出かける。風は、朝よりも少し強い感じだったけれど、弱い霧雨になっていたので、「ベルリンのほうにはもう来ないのかしらね」と思いつつ、3時過ぎの電車に乗った。ベルリン中央駅で乗り込んだ、ハンブルグ行きの電車は、プラハから来たチェコの国際特急電車。ドイツは、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、フランス、スイス、オーストリア、チェコ、ポーランド、デンマークの9カ国と国境を接しているから、ベルリンを通過する長距離の国際電車は、国籍がダイナミックだ。

 

ハンブルグまでは、約2時間の道のり。いきなり食堂車に乗り込む。ヨーロッパ鉄道の旅では、食堂車が、私のお気に入り席。朝一番の電車なら、朝食を食べながら行くし、昼ならランチ。夜ならディナー。そうでない時間は、お茶を飲みながら行く、もうこれは動くカフェである。しかも、電車の国籍によって、食堂車の雰囲気も、メニューも変わる。途方もなくおいしいものは、期待しないとしても、めずらしいものはある。雰囲気だけでも楽しい。この車両に乗客はまだ3人だけ。普通の人は、自分の予約席を確認して、電車が動き出してから食堂車に行く。だから、いきなり乗ると、たいてい席がある。長年の経験で培った、旅の裏技。窓際の進行方向を向いた良い席に座る。

 

このチェコの電車の食堂車は、クラシックなビロードの内装で、乗った瞬間から、すでにチェコっぽかった。ウエイター同士がしゃべっているのは、チェコ語である。ウエイターが持ってきた革風ビニールの表紙のメニューも、チェコっぽい。メニューのところには、グーラッシュなどが、大変チェコっぽいものが並んでいる。実を言うと、まだチェコに行ったことはないのだけれど、これから2時間、もう気分はチェコである。乗った瞬間から、うれしくて、にこにこしてしまう。

 

夕食には早いので、メニューのお茶のページを繰ると、お菓子のところに、あ、パラチンケンがある!ハンガリーで、薄いパンケーキのことを、パラチンケンと呼んでいて、ソリテュード時代、ハンガリー人のフェローに、作ってもらったことがある。クロアチアでも、パラチンケと書いてあったな。チェコでもパラチンケンなんだ、と思うと、うれしくなる。何のことはない、ただのパンケーキだけれど、このケセランパサランみたいな名前が気に入っているので、パラチンケンと紅茶をオーダーした。

 

ベルリンの町を出ると、ただただ平原が続く窓の外は、どんよりと暗い曇り空、雨も少し降っている。

 

紅茶と一緒にやってきた巨大なパラチンケンは、溶かしたチョコレートをぬって巻き上げたうすいパンケーキで、ホイップクリームものっていた。紅茶は大きめのカップで、ついてきた砂糖のパッケージは、赤くて小さなテトラパック型。電車に乗るだけで、砂糖まで外国なのだから、国際列車食堂車の旅は、いつもの日常を、ちょっとだけ離れて息抜きするには、最高だ。

 

チョコレートのパラチンケンは、脳みそがしびれるほど甘いけど、今日ここまでで結構くたびれているから、体にしみておいしい。甘いものは、とことん甘いのがいい。脳に糖分が回ったところで、ドイツ語の単語帳を出して復習復唱の、移動式ドイツ語満腹道場。予定通り30日で終わるかどうかは、あやしいけれど、一応へこたれずに続いている。私としては、かなり花丸状態。せっぱつまっている、ということも、あるけれど。

 

クロアチアから、毎月、私の講座に通ってきている学生から携帯メッセージが入る。

 

「イマ ベルリン ニ ランディング。スゴイ アメ。コレカラ ベルリン チュウオウエキ ニ ムカイマス。」

 

彼女は、夕方の電車でベルリンを発ち、夜9時過ぎにハンブルグで合流予定。

 

「ショクドウシャ ニ チョクセツ ノリコムコト。パラチンケン アッタラ オススメ!」

 

と返事のメッセージを送る。

 

もう一人、ベルリン在住の学生が、昼過ぎにベルリンを出て、車でハンブルグに向かっている。夕方まで別の授業があるので、夜、車でベルリンを出て、夜中に合流予定の学生も一人いる。

 

彼らは、ミットファーレン・ツェントラムを利用して、やって来る。ミットファーレン・ツェントラムというのは、相乗り総合手配センターとでもいうか、車でドイツの都市間を移動する人で、車に空き席がある人が、このセンターに登録して、出発地と行き先、出発時間を知らせておくと、センターが、それに相乗りを希望する人を見つけて、相乗りの手配をしてくれる、というサービスセンター。

 

ドイツは、高速道路に料金がかからないから、ガソリン代と保険代+ほんの少しの手数料を折半したものが、相乗り希望者の払う料金。自分の車で移動する人も、ガソリン代が節約できるし、乗せてもらうほうにとっても、かなり安く移動できる手段らしい。彼らのほかに、次の朝、自分の車でベルリンを出て、昼に合流する予定の学生も2人いる。

 

今回の展覧会のような素敵なイベントがあるときは、学生にも声をかけるけれど、現地集合、現地解散、行動自由が基本である。旅の手配も、宿の手配も、それぞれ自己責任でやってもらう。それにしても、ベルリンが大雨ということは、やっぱりハリケーンがベルリンに来るのかしら、とすると、何人がハンブルグにたどり着けるかは、わからない。

 

日がとっぷりと暮れて、電車の窓についた雨粒が、街の明かりに照らされてきらきらしてくると、もうハンブルグだ。

 

ハンブルグの駅を出ると、風が強くて、霧雨。建物も、通りも、たっぷりと濡れて光り、散々雨が降った後のにおいがした。ハンブルグは、ベルリンの北西にあたるから、ハリケーンは通過した後なのかもしれない。

 

駅のそばのホテルにチェックインすると、先に車で出た学生から、携帯メッセージが入る。

 

「ハンブルグ ニ トウチャク。イマ ドコニ イマスカ?」 

 

「コチラ ハ エキ ノ ソバ ノ ホテル 二 トウチャク。6ジ ニ ビジュツカン ノ イリグチ デ アイマショウ。」

 

続いて、夜、車で移動する予定だった学生から、別の携帯メッセージが入る。

 

「ヨヤクシテイタ クルマ ガ ハンブルグユキ ヲ キャンセル シタ。スゴイ アメ。スゴイ カゼ。ハリケーン ガ コチラ ニ ムカッテイル。コンバン ハ イドウ デキナイ。アス ノ クルマ ヲ サガシマス。」

 

それにしても、携帯電話というのは、本当にありがたいなあ。移動している同士が、連絡しあうなんて、携帯電話が出現する前は、ありえないことだった。

 

6時に会場の美術館に行くと、エントランスのベンチに学生が座って待っていて、その向かいのスペースでは、須藤さんと、今回の展覧会の企画をしたレスリーさんとイギリスのエプソムの学校の学長さんたちが、ちょうど挨拶を交わしているところだった。そこに加わって、挨拶をしていると、オープニングのセレモニーがはじまるわ、さあさあ、行きましょう、とレスリーさんが言って、迷路のような美術館の中を、右へ左へ上へと、あわただしく会場へつくと、展示室の前のスペースのところに、もうたっぷりと人が座っていた。すごい。6時、といったら、みんな6時に来ている。ドイツだなあ、と思った。

 

イタリアでデザインの展覧会があるときは、あまり畏まったセレモニーや、主催者などの挨拶はなく、挨拶は、パネルで展示してあるくらいで、オープンとともに、どんどん会場に人が入って、展示を見ることが出来るけれど、ドイツでは、かならず、会場に入る前のスペースで、きっちりきまじめなセレモニーがある。展覧会を開くようなところには、必ず、スピーチ台とでもいうような家具が必ずあって、いわゆる「えらいひとのおはなし」が、一通り続く。そのへんは、とても日本と似ている。

 

今回は、美術館側の責任者の挨拶、それから、日本の領事らしい人の挨拶もあった。そして、キューレターのレスリーさんの挨拶。須藤さんは、聞いている側の一番前真ん中の席にいらしたけれど、私たちからは、須藤さんの後姿しか見えない。須藤さんへの賛辞はたくさんあるけれど、結局、こちらがその須藤玲子さんです、と、正面に須藤さんを上げて紹介するでもなく、セレモニーは終わってしまい、それでは、会場に入りましょう、ということになった。

 

形式を重んじるばかりに、肝心なところが抜けても気がつかない、というのは、ドイツにありがちで、おそらく、日本にもありがちで、イタリアでは、これは絶対にないな、と思わせることだった。イタリアは、それこそ、形式に関しては、もう絶望的にめちゃくちゃで、時間になっても開かなかったり、展示品が全部届いていなかったり、まだペンキが乾いていなかったり、もう始まっているのにまだ照明をいじっていたり、主催者がどこかに消えてしまったり、もうマンマ・ミーアの大騒ぎだけれど、本当に大事なところは、絶対はずさない。それが、めちゃくちゃに見えても、イタリアの底力だ。

 

それでも、会場に入ると、中で、主催者が、いろいろな人に須藤さんを紹介して回っていたから、ドイツでは、そういうやり方が、普通なのかもしれない。いずこも、悪気はない。どちらにも、いい点も、悪い点もあって、中庸を求めるのは、なかなか難しい。

 

須藤さんのコレクションは、長い円筒状にしつらえてあって、それぞれが個性的な布が、柱のように会場に立ち上がって 並んでいた。スペインのコルドバに、メスキータという、あらゆるところから集めてきた、いろんな時代の柱が並んでいる教会があるけれど、この展示は、静かな透けるメスキータのようだった。

 

写真で、ディテールを見たことがある布でも、こうして見ると、ぜんぜん迫力が違う。須藤さんの布は、建築のスケールで自立したときに、その力を最大限に発揮する。こうやって立ち上がると、こういう効果があるのか、というのは、小さな布片から読むのは難しく、空気の量がたっぷりあるところで、こうして実際に、布が空間に作り出す力を体験できるのは、素敵なことだった。

 

このハンブルグの前の、ウイーンでの展覧会は、会場の天井高が倍近くあったということで、展示数も多く、もっと効果的だったと、後で聞いた。確かに、余った分の生地が、柱の中に堆積したように収められていたけれど、それは、それで、素敵だった。

 

布のサンプルが、解説とともに、壁に展示されていて、それは、触ってもよいことになっていた。須藤さんが、布に応用する技術は、本当に多彩で、軽やかに何事もなく立っている一枚の裏側に、たくさんのたくさんの冒険や実験があるのが見えて、ひれ伏したくなってしまった。

 

テキスタイルの学校を出てから、私の講座でデザインを学んでいる学生は、感激しながら一通り作品を見た後に、「ずいぶん昔にデザインしたものもあるんだね」と、言ってきた。彼が、指差している作品は、93年作。ずいぶん昔ねえ・・・。わたしにとっては、そんな昔の気がしないけれど、もう14年前。26歳の彼にとっては、「ボクが中学に入る前」だものねえ。そんなころから、というよりも、それよりも、もっと前から今日まで、ずっとずっとずっと実験し続けて、素敵な布を作っていらしたのだ、と思うと、ここに軽やかに展示されている布の、本当の重さを、感じ取れるような気がした。

 

その晩のプレビューもお開きになって、会場を出るところで、携帯メッセージが入った。

 

「デンシャ ゼンブ トマッタ。ワタシ ノ デンシャ モ キャンセル ニ ナッタ。チュウオウエキ ヘイサ。コンバン ハ ベルリン ニ トマリマス。アス ノ アサ ノ デンシャ ヲ トライシマス。アス ジカン シラセル。」

 

ひゃー、どうやらベルリンには、本格的にハリケーンが近づいているらしい。私の帰りの電車は、次の日の夜だけれど、トコロデ ワタシハ ベルリン ニ カエレルノダロウカ? という疑問が、急に頭をもたげてくる。すでに来ていた学生は、明日の朝、どうしてもはずせない仕事があるので、予定のバスで、ベルリンに帰るという。「大丈夫?気をつけてね。バスがなかったら、ホテルの部屋はあるから、知らせてね。」といって別れ、ハンブルグ駅に、電車の様子を見に立ち寄ると、インフォメーションセンターの前に、ずらりと人が行列をなしていて、どのホームにも、電車予定なし、と出ていた。

 

あらあらあら、本当に全部止まったんだわ、これは、明日にならないと、わからないわね、と思ったけれど、それにしても、駅の中は、静かだった。これが、イタリアだったら、どんなに騒がしいことか・・・、まず並ばない、割り込む、どなる、わめく、当り散らす・・・。どなると言っても、イタリア人にしてみれば、ちょっと大きめの声で何か言っているだけなのだけれど、元の声量が半端じゃないから、まわりじゅうでけんかをしているみたいに聞こえる。16年も、そんなところでさんざん楽しく暮らしてから言うのもなんだけれど、日本育ちの私としては、こういう災害のときは、ドイツがいいなあ、と思ってしまった。

 

駅のスタンドで簡単に夕食を済ませて、ホテルの部屋に戻り、テレビをつけると、あららららら、ものすごい映像が、次々と飛び込んでくる。海の高波が、建物にぶつかってくだけている。大木が倒れて、車3台がぺしゃんこにつぶれている。高速道路で、トラックが3台も横転している。トンネルが、人の腰の高さまで浸水している。どこかの建物の入り口のガラスが、全面粉々になっている。大型の鉄塔が、半分からぼっきり折れて首をたれている。あららららら。

 

家にテレビがないので、こういう映像を見なかったけれど、見ていたら、ハンブルグに来ていたかどうかわからない。ものすごく運良く、ハリケーンを避けて、ハンブルグに来ちゃったんだわ、と、改めて思う。今朝のインターネットのニュースは、あわただしかったから、文字だけチャチャチャと読んだだけだったので、こんなすごいこととは、思わなかった。だいたい、ここでみている映像も、きっと、ついさっきのことなのだ。あたりまえだけれど、こんなふうになる可能性がありますよ、と昔の映像を見せて警告してくれるわけではないし、映像は、災害が起きてから出るものだから、いやはや、まいったな。

 

いろんな場所からの現場中継もあって、風の中に吹き飛ばされそうになって立っているアナウンサーは、ぬいぐるみのように長い灰色の毛が全身に生えた、巨大な筒状のものを持っていた。筒の毛が、びゅんびゅん風になびいている。最初見たときは、これはニュースではなくて、お笑い番組なのかと思ってしまったほどだが、別のニュース番組に切り替えても、現場のアナウンサーは、それを抱えている。どうも、その毛の生えた巨大な筒みたいなものは、マイクらしい。目玉をつけたら、そのままセサミストリートに出演できそうな、フサフサぶりである。そのフサフサが、風の音をさえぎるのか、アナウンサーの声は、明確に聞こえた。木の倒れた現場で、木を切って作業している人にインタビューするとき、そのぬいぐるみみたいなマイクを、おじさんに差し出している様子は、すごく大変な現場なのに、妙にユーモラスだった。もう20年もテレビを持たない生活をしているので、こういうことまで珍しいけれど、いまどきは、このフサフサマイクが、あたりまえなのかもしれない。

 

しばらくすると、気象衛星からみた雲の様子が映し出された。で、で、でかい!渦巻きがでかい!驚くほど巨大で濃厚な雲の渦が、ヨーロッパの上に、どーんとのっかっている。台風の渦とは、なんだかスケールが違う。日本の台風なら、日本をかすり上げてゆき、やがて太平洋に抜けて、高気圧になりました・・・というのが普通で、よって、台風一過、となるのだけれど、大陸のハリケーンは、いったん上陸してしまうと、陸の上を、不気味にゆっくり移動しながら、どんどん大きくなってゆくものらしい。しかも、スイス以北は延々と平地だから、一度内陸に向かいだしたら、ぶつかるところもなければ、抜けるところもロシアの北の海くらいしかない。そう簡単に、一過とは、ゆかないらしい。もしかしたら、一度通過しても、うろうろした挙句に、戻ってくるかもしれない。

 

イタリアは半島だったし、地中海という内海の中にあって、大洋に面していないし、北はスイスの山の屏風に守られていたから、16年も暮らしていても、こんなハリケーンを体験したことはなかった。いやー、大変な中を、驚くほど静かに何事もなく、出かけてきてしまった、と、自分の運のよさに感謝しながら、部屋の窓を開けてみると、ハンブルグの空には、星が出ていて、風も大方やんでいた。

 

ベルリンを出てたった半日。ハリケーンにあったわけでもないのに、なんだか、くたびれてしまった。ドイツ語満腹道場のせいで、朝も早かったしね。歯を磨いて、寝巻きに着替えて、ベッドに入る。チャンネルを変えると、またニュースが始まった。

 

「こちらベルリンです」。ベルリンが映し出される。

 

「ベルリン中央駅の2トンの鉄骨が、ハリケーンの強風で落ちました。」

 

「うっそー!」布団の上でまた飛び上がってしまった。

 

中央駅のファサードが、ズームで映し出されると、5階部分の鉄骨2本が、がっくり傾いてはずれている。駅のまわりには消防車みたいなものが、わんわん取り囲んでいる。駅は、夕方から封鎖されていたから、けが人はいなかったようだけれど、それにしても、いくら強風とはいえ、あんな巨大なH鋼の骨格が、はずれるって、どういうこと?この駅は、鉄骨組みにガラス、という建築で、ワールドカップに間に合わせるために、この駅舎の上のオフィス部分は、かなりの突貫工事だった。オープニングセレモニーの裏側で、まだ工事していたくらいだから、ひどい手抜きがあったかもしれない、ということは、想像できたけれど、それにしてもねえ。(それから2日たってわかったのは、その長さ8m、重さ2トンの鉄骨は、ビスも留めず、溶接もせずに、のせてあっただけだった、ということ。ありえない・・・・。)

 

ベルリンの我が家は大丈夫かしら、と、ちらりと思ったけれど、ティアガルテンの森の防風林も、目の前にあるし、なにしろ50年前の建物だ。最近出来た建物よりは、ずっと信頼できる。中央駅のファサードの向きを考えると、窓が向いている方向とは逆だから、まあ大丈夫でしょう。心配しても仕方がないので、そのまま寝てしまった。

 

翌日の朝のニュースは、昨日の夜と同じ映像だった。ハリケーンは、ロシアのほうへ、ぬけたらしい。ポーランド、ロシアだって、被害はあるだろうに、そのニュースは全然なかった。国境はさんで隣同士とはいえ、ニュースは、まず自分の国でいっぱいか。朝、自分の車で出発予定だった二人から、携帯メッセージが入る。

 

「コレカラ ベルリン ヲ デマス。ケッコウ ナ カオス。ハリケーン ハ サッタ。コレカラ コウソク ニ ノリマス。」

 

あ、そうだ。朝食を食べながら、思いだした。ここハンブルグでは、「ディアログ・イン・ザ・ダーク(暗闇の中の対話)」という、真っ暗な中を手探りで歩く展覧会、というのが、開かれている。予約が必要で、出発の前日、電話をしたら、もう来週まで、予約でいっぱいです、と、断られてしまったのだけれど、この天候のせいで、キャンセルがあったかもしれない。電話を入れてみる。すると、思っていた通り、キャンセルがあって、午後2時15分からのツアーに、これから来る学生も入れて4人分、予約できてしまった。ハリケーンのおかげで、よいこともある。これで、今日の楽しみがひとつ増えた。

 

朝食を終えて、駅へゆき、インフォメーションセンターで並んでいると、また携帯メッセージが入る。

 

「クルマ エンコ シタ。キョウ ノ ハンブルグユキ ハ ダンネン。」

 

災害だけではないのだ。行く手を阻むのは。そうして、メッセージにかかずっている間も、人に割り込まれることもなく(ああ、これが、イタリアだったら・・・)、おだやかに私の番になったので、今晩の電車の予定を聞くと、ハンブルグ-ベルリン間は、通常通り、とのこと。念のため、その前後の電車の時間も聞いて、控えておく。

 

まだ復旧が定かでない電車や、大幅に遅れている電車もたくさんあるようで、駅は人でごった返していた。ごったがえしていても、静かなものだった。ドイツだなあ。

 

美術館に戻ったところで、昨晩、ベルリン発の電車がキャンセルになった、クロアチアの学生から携帯メッセージが入る。

 

「コレカラ ベルリン ヲ タチマス。チュウオウエキ ハ ヘイサ。シュパンダウ エキ カラ シュッパツ。デンシャ ハ 11:48 ハンブルグ トウチャクヨテイ。エキカラ チョクセツ ビジュツカン ニ ムカイマス」。

 

お昼は、美術館のカフェで、ご一緒しましょう、と、須藤さんが誘ってくださっていたので、それまで、私は、美術館の収蔵コレクションを見て回る。この、須藤さんの展覧会が開かれている、ハンブルグ工芸美術館の所蔵品は、その質も量もドイツ一を誇るもの。エジプトの時代のものから、現代まで、建物の一部改築中のため、見られないものも結構あるけれど、それでも、全部見るのに、たっぷり1日かかる量の展示物だ。近代のものでは、セセッションのグラフィックポスターのオリジナルや、マッキントッシュのウイローティールームのオリジナルの椅子も、ここに収蔵されている。

 

近代のコレクションのコーナーは、午後、ディアログ・イン・ザ・ダークのあとにまわすことにして、午前中は、古いものをゆっくりじっくり見た。ベルリンでは、なんだか毎日があわただだしくて、美術館へ行く暇もなかったから、いろんな時代の工芸の知恵の栄養が、久しぶりに、自分の中にしみこんでゆく感じがした。

 

昼には、クロアチアの学生が、無事ハンブルグに到着。嵐を越え、電車キャンセルを超え、駅の封鎖を超え、それも、彼女にとっては外国でのできごとだ。クロアチアを出てから、実に24時間。それでも、目的地に、ちゃんとたどり着いたって、すごいことだ。今日、無事たどり着いたのは、彼女だけだから、ひそかに、彼女の採点表に、ボーナスポイントをつける。大いに評価してあげたい。昨日、嵐の中とんぼ返りのアクロバットを無事こなした学生にも、星ひとつ追加。

 

カフェにゆくと、須藤さんや、レスリーさん、ウイーンの展覧会のキューレター、この美術館のキューレター、それに、今日やっとたどり着いたというレスリーさんの友人がいて、学生とともに、テーブルに加わらせてもらった。レスリーさんの友人は、ベルリンに住んでいるテキスタイルデザイナーで、元東ベルリンのデザインの学校で教えている、という人だった。その学校から、私の講座に来ている学生もいるので、住所を交換したりして、なんだか昔から知っている人みたいに、話が弾んだ。それにしても、テキスタイルの人、というのは、どうしてこうも気持ちのいい、穏やかな人ばかりなんだろう。

 

そういえば、午後のディアログ・イン・ザ・ダークの予約は、4人分入れていたけれど、結局、学生1人と私、の2人になってしまったので、ところで、誰か、一緒に行きたい人いますか、と、テーブルで声をかけると、須藤さんは、夜のレクチャーの準備があるから、行きたいけど残念!と言って、すると、ウイーンの展覧会のキューレターのクリスティーナさんが、私行きたい、と手を上げて、急遽3人のチームを作ってゆくことになった。

 

ディアログ・イン・ザ・ダークの会場は、運河沿いに並ぶの大きな赤レンガの倉庫の中にあった。この展覧会は、2001年に実験的に始めてから今日まで、毎日常に予約がいっぱいというだけあって、すばらしくよかった。自分が、いかに、普段、視覚に頼って、他の感覚をおざなりにしているかを知り、それから、視覚を封じられたときに、手に持った白い杖が、そのまま自分の指先になり、なによりも敏感な触覚になる、ということを知る、素敵な体験だった。お箸もそうだけれど、道具というのは、体の延長。触覚というのは、皮膚で直接触れるわけでなくても、棒一本を通してでも、感じとることができるものなのだ。

 

90分のコースの中は、文字通り真っ暗闇で、いくつもの部屋に仕切られていて、4人に1人、案内役のインストラクターがつく。インストラクターは、見えないプロ、ということで、本当に目が不自由な人だ。白い杖をもらって、真っ暗な部屋に入って待っていると、案内のインストラクターが来て、それぞれ自己紹介をして、ツアーをはじめる。慣れなくて、最初おろおろしていると、名前を確認しながら、手を引いてくれたり、肩を押してくれたりする。インストラクターは、声を聞き分けるほか、そうやって、触覚で、私たち4人を覚えてゆくのだ。

 

そうして、インストラクターの声に導かれながら、やわらかい土の上を歩き、固い石畳の上を歩き、アスファルトの上を歩く。それから、ぐらぐらするつり橋を渡ったり、車の音を聞き分けて、大通りを渡ったりする。自転車は音がしないから、一番怖いのだ、とインストラクターは、説明してくれた。ゴムのタイヤに触れたり、ガラスに触れたり、鉄板に触れたりする。触っただけで、これはなんだ、と言われても、特に、垂直平面は、当てるのが難しかった。逆に、いつも、足の裏で触れている床については、割と簡単に当てられる。

 

市場もあって、そこで野菜に触れたり、港から、ボートに乗ったりもした。ボートに乗るときに、それでは、さっきの切符の半券を出してください、と言われて、大いに慌てた。ポシェットの中は、電車の切符、美術館の切符、展覧会の案内状、ホテルの領収書などなど、紙だらけである。あやややや。それでも、手探りで、何とかそれらしきものを見つけ出して、やっとのボートに乗せてもらえた。

 

最後の部屋は、カフェだった。たくさん人がいる・・・のか、声だけなのか、わからないけれど、人がたくさん座っているようなテーブルの間を抜けて、カウンターにたどり着くと、インストラクターは、好きな飲み物をオーダーしてください、と言う。「えーと、それでは、アップルジュース、ビッテ。」と言うと、カウンターの中の女性は、「はい、1ユーロ60セントです。」と言う。ひゃ~、この暗闇の中で、小銭をさがすのか。小銭ケースから、これは、50セントだな、とおもわれるコインを3枚と、10セントかな、と思われるコインを1枚出すと、「あらあら、多すぎますよ。」と言う。私が50セントだと思っていたのは、1ユーロだった。毎日触っているものなのに、情けない・・・。

 

それから、また、インストラクターの声について、席に着く。席と言っても、すべて手探りである。そうすると、そこには、インストラクターのほかにも、何人か人が座っていて、いろいろ話を聞いた。インストラクターは、16歳まで目が見えていて、1ヶ月で、100%から5%に視力が落ちたのだと、説明してくれた。お母さんからの遺伝の病気だそうだ。、5%というのは、完全な真っ暗闇ではなくて、明るいと暗い、それから色も、少し感じることができる、と言った。

 

見えないということは、大変なことなのだけれど、その説明する声に暗さはなくて、それよりも、私たちは、触っただけでお金もわかるし、この暗闇の中でもすいすい歩いてゆけること、音だけで車の種類、幅、長さも言い分けられるし、ちょっと服に触れただけで、4人の名前をぴたりと当てられることなどで、もう、このインストラクターを尊敬しきってしまっていたから、他の感覚を研ぎ澄ますために、どんな訓練をするかとか、いろんな話を聞いていて、とても楽しかった。

 

ドイツでは、目が不自由な人のための、公共の場所のユニバーサル化は、ずいぶん進んでいるけれど、たとえば、自転車専用道と、そうでない歩道は、色で分けられているだけで、杖ではわからないから、そういうところで、まだ改善する必要があるところは、たくさんあると言っていた。だから、こうした体験を、いろんな人にしてもらうことで、理解を深めたくて、こういう活動をしているんだよ、とも説明してくれた。

 

それから、立ち上がって、部屋の出口のところに、全員並んだ。私が一番前だった。後ろからインストラクターの声がした。「扉のハンドルわかりますか。これから、扉を開けて、次の薄暗い部屋に入ります。目を慣らすために、1分位そこにいてから、ロビーへ出るように。急に明るいところに出ると、目に悪いからね。はい、それでは、開けてくださーい。」 それで、私が扉を開けて、全員薄暗い部屋に入ると、インストラクターは入ってこないで、それでは、さようなら、と言って、私たちが振り向く前に、扉を閉めてしまった。「あ、来ないんだ。顔見たかったのになあ。」と、学生が言った。私も、そう思ったけれど、でも、向こうは、こちらの顔を見えないのだから、これで、よいのかもしれない。でも、お礼は言いたかったな。

 

目をならして、出た次の部屋は、電球がひとつついているだけだけれど、すごくまぶしかった。メッセージを残す、白い大きなノートが開かれていたから、そこに、インストラクターへのお礼を書いて、ロビーに出る。入ったときは、さほど明るい部屋でもないと思っていたロビーは、光と色であふれていた。外へ出ると、空にはたくさんのくもが飛ぶように走っていて、そこから時折漏れる太陽の光を受けて、運河はきらきらしていた。

 

美術館に戻り、学生は、須藤さんの展覧会へ、私は、近代のコーナーや、古い楽器のコーナーを回って、帰りはこの学生と同じ電車だったので、須藤さんとレスリーさんに挨拶をして、夕方7時過ぎ、一緒に駅に向かった。こういう日だと、食堂車に食べものがあるかどうかはわからないから、駅のスタンドで、急いでサンドイッチを食べてから、電車が到着するなり、食堂車に乗り込んだ。出発時刻が少し遅れるということで、電車は、しばらく止まったままだったが、他の電車からの振り替えの人もいるのか、食堂車は、出発前に、みるみる間に満席になってしまった。

 

電車は、ゆっくり動き出す。ベルリン中央駅が、閉鎖になっていたというから、手前のシュパンダウ駅で下りて、地下鉄か、市内電車に乗り換えなければいけないかしら、と思ったけれど、検察の人に聞いたら、平常どおり、中央駅で止まります、という。中央駅のガラス張りのドーム屋根を思い出しながら、うへえ。うれしいやら、こわいやら、と思う。紅茶をオーダーしたら、行きとは別の砂糖がついてきた。よく見ると、今度の電車は、ドレスデン行き、ハンガリーの電車だった。

 

「満足だー。」と、お茶を飲みながら、学生が言う。「昨日の昼、クロアチアを出たばかりなのに、1日で、すごくいろんなことをしたような気がする。私、今朝、ベルリンを出て、今、またベルリンに戻るのよね。」

 

降りかかる難題を、乗り越え乗り越え、手に入れることで、なんということのない1日も、忘れられない宝石になる。彼女にとっては、私以上の大冒険だったはずだ。というより、冒険をしたのは、私ではなくて、彼女か。

 

「でも、楽しかったね。須藤さんにも会えたし、ハリケーンのおかげで、ディアログ・イン・ザ・ダークも、体験できたし。」

 

「あの暗闇の彼の顔、見たかったなー。」

 

何事もなかったかのように、電車はベルリン中央駅に着き、市内電車も平常どおりだった。駅から、家に向かうとき、いっぱい木が倒れていたらどうしよう、と思ったけれど、鉛筆くらいの小枝が、散らばっているだけれで、静かなものだった。ニーマイヤーハウスは、地下の倉庫室に浸水することもなく、部屋にも水漏れひとつなく、健在だった。

 

翌朝、近くの森を歩くと、細い高い松の木1本が、根こそぎ倒れたらしく、それを、のこぎりで、60センチくらいの長さにそろえて切って、落とした枝も積み上げて、道の脇に片付けてあった。もう一本、赤い実のなる木で、根元にかなり大きなこぶがあり、秋口に、半身の枝落とし、という大手術を受けた木があって、それは、さすがにハリケーンには耐えられなかったらしく、それも、切りそろえて、すでに片付けてあった。切り口に見える年輪の真ん中は、赤黒く変色していた。ひどい病気だったのかもしれない。他の木は、すべて健在。

 

ベルリンには、首都建設で、華々しい建築が、次から次へと建設されたけれど、弱いところ、手を抜いたところは、このハリケーンで、軒並みぼろを出したようで、そうなると、本当に高いものにつく。ベルリンは、そうでなくても、財政難できゅうきゅうなのに、いったいどうするんだ、と、連日新聞で、騒いでいる。新しい建物のそばには、当分行かないほうがよいかもしれない。

 

そういうわけで、ハリケーンには出会わなかったものの、ハリケーンのおかげで、ドイツのことが、いろいろ分かった・・・ような気がする、長い長い1日でした。読んでくださった皆様も、おつかれさま。

 

須藤玲子さんとNUNOの展覧会のサイト

http://www.art-perfect.de/nuno-textilie-visionen-reiko-sudo.htm

 

ハンブルグ工芸美術館のサイト

http://www.mkg-hamburg.de/

 

ディアログ・イン・ザ・ダーク展のサイト

http://www.dialog-im-dunkeln.de/prehome_en.htm

 

 

 

阿部 雅世 公式サイト Masayoave creation   www.macreation.org

 

 

 

 

 


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