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ベルリンのうさぎ

たとえて言うなら「米俵を背負ってトライアスロン9試合連続出場」とでもいうような、43年10ヶ月の人生の中でも前代未聞のタフな夏を無事完走し、2つのワークショップを含む、9つのデザイン・プロジェクトをこなしたところで、ブログ復活。1試合ならともかく、9試合連続で結果を出さねばならぬとなると、まず走ることで精一杯で、それを消化して言葉にする機能にまでは、栄養が行き渡らなくなるらしい。言葉は一片も、自分の上に降りてこなかった。ともあれ無事完走。ひとり万歳三唱して、一晩眠って目が覚めると、背負っていることすら忘れていた巨大な米俵は肩の上から消えていて、信じられないくらい体が軽い。その軽い体で、また、頭の上にはらりはらりと言葉が降りてくるようになったのを感じながら、家から外に出ると、その足元のあちらこちらで、熱心に草を食べているのは、ベルリンのうさぎである。  

 

ベルリンの住まいは、ティアガルテンという森の中にあって、家のまわりは、うさぎだらけだ。そう書くと、ベルリンのどんな郊外に住んでいるのかと思われるけれど、ティアガルテンは、都心も都心、東京でたとえるなら、皇居、と呼んでいいくらいの都心にある。ここの緑は、日本語の、庭園とか、公園という言葉で想像できる範囲をはるかに超えて、うっそうとどこまでも茂る全長6キロx1.5キロの木々の集合体で、これはもう森と呼ぶしかない。

 

窓から見えるのは、どこまでも続く森の木々のこずえと空だけで、ちょっと家の周辺を散歩して戻ってくると、30分くらいは、毛穴から緑の空気が出てくるくらいの森林浴である。地下鉄の駅も、電車の駅も、徒歩1分もかからないところにあるのに、この森に入ってしまうと、忽然と別の次元の世界である。とても、ベルリンという都会の真ん中にいるとは思えず、時間も外の世界と切り離されているかのようだ。

 

森の中をめぐらされた歩道は、全長25キロになるという。まだ全部歩きとおしていないけれど、いつも私が歩くエリアは、人に会うことも少なくて、しんとした森の中で、木のこずえの隙間から空をぐるりと見渡すと、なんだか世界にたった一人生き残ってしまったみたいな不思議な感覚に襲われる。誰もいないようでいて、でも、立ち止まると、かさこそ、とあちこちで音がして、リスがちょろりちょろりと赤い尻尾を振って木の幹を上っていったり、ウサギが脇を全速力で駆け抜けていったり、前方には、燕尾服を着たような大きな鳥が、のっそりのっそりと道をわたっていたりして、そこに急に水路と、不思議な欄干のついた小さな橋があらわれたりすると、これはもう、千と千尋の世界である。「私、人間よ。この世界じゃ、ちょっと珍しいかもしれないけど」と、小さな声で動物たちに話しかけたくなってしまうくらいの、不思議な不思議な場所だ。

 

そういう森のある都市だから、この都市には、うさぎも、リスも、綺麗な色の小鳥も、たくさんいる。都市に森があるということは、なんて平和で素敵なことなんだろう。

 

ベルリンのうさぎは、その東西を分ける壁が崩壊した1990年の年末に、ベルリンを訪ねた時にも見た。綺麗に壁が片付けられたばかりの、なんだか異様に広い白いスペースが続く壁の後を、左手にティアガルテンを見ながら、ベルリン工大の建築の学生だった友人と、ブランデンブルグ門にむかって歩いていた夕暮れ、小さな動物が何匹も、全速力でそのスペースを駆け抜けるのを見た。

 

「あれは何?」

「うさぎだよ」

 

ベルリンへは、当時のベルリンのユートピア的な建築のプロジェクトが面白くて、ベルリン工大のプロジェクトに関わって、日本から何度か通ったけれど、都市自体は、なんだか殺伐とした、漠然と取り留めのない都市にしか見えなくて、あまり魅力は感じなかった。一緒に歩いた友人も、その後会うこともなくて、顔も思い出せるかどうか、そのころのことは、結局たいした記憶もないのだけれど、

「ベルリンにはウサギがいる!」

という驚きは、まさか、その16年後に、ここでウサギに囲まれて暮らすことになるとは、想像もしていない、のんきに若い自分の声のトーンや、そのときの夕暮れの空の色まで含めて、鮮明に脳裏に焼きついている。

 

それから16年たって、そのベルリンの森の中の、これ以上の建築はなし、というような建物の中で暮らすことになったそのいきさつは長くなるから、また別の機会に書くとして、ともあれ、すっかり、この不思議な環境が気に入ってしまった。だから、引っ越してきてからは、よほどのことがないかぎり、森から出ることがない熊のように、ほとんどこの森から出ることなく、ただただ森の生活を堪能して過ごした半年だった。

 

ベルリンの野うさぎは、茶色くて耳が短い「イエウサギ」とよばれる小型のうさぎだ。ドイツ語では、「カニンヒェン」という。人がいるすぐそばまで出てくるのに、近づくと、ぴっと耳を立てて静止して、それから、尻尾の裏の白いマークをぴょんぴょんと縦に振りながら、一目散に茂みに逃げ込んでしまう。

 

 

冬の間は、雪の上の足跡ばかりが目立ったけれど、春になると、春子、春太郎の、チビうさぎが、親うさぎに混じって、一生懸命草を食べていた。この夏は、7月の末から10日ほど日本へ行った。そして、すっかり猛暑が引いた8月のベルリンに戻ってくると、その私を迎えてくれたのは、春子、春太郎がもう親になったのか、夏子、夏太郎の、チビうさぎの団体だった。そのチビうさぎも、もう立派な若うさぎとなり、まだまだ緑は深いけれど、ときおり紅葉した落ち葉が、はらりほらりと目につくようになってきた。葉っぱが乾いてきたせいか、木のこずえがざわめく音が、変わってきた。

 

ベルリンも、すっかり秋である。

 

阿部雅世公式ページ www.macreation.org

 


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